【佐村河内さん謝罪会見】(2)「私には聴覚障害がありませんでした」
更新映画の「コスモス」以前から私はプロとして音楽を作っていました。テレビの「山河憧憬」という番組で音楽を担当し、それを受けての「コスモス」での音楽の依頼でした。そのときは打ち込みの音楽で曲を完成している。
交響曲を身銭を払ってまで作らなければならないかという質問があるかもしれませんが、私は子供のときから音楽が大好きでクラシックも好んで聴いていました。その中で日本で70年にわたる現代音楽に対して肯定的ではなかった。昔の音楽の復権が一番と思い、時代が変わればいいと思っていました。やり方が間違っていましたが、新垣さんというゴーストライターを使って、この交響曲は私が生きている間は演奏されないと思っていました。でも、曲を残しておくことで、今の時代にある音楽と誰かが拾ってくれればいいと思っていた、私がことこまかに設計図を作って新垣氏に頼んだのです」
