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「天下人」秀吉と家康も模倣? 平地の城造り…源流は「最後の将軍」の恐怖心

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「天下人」秀吉と家康も模倣? 平地の城造り…源流は「最後の将軍」の恐怖心

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 諸大名や寺社勢力とともに「信長包囲網」を築いて信長に対抗しようとした義昭は結局、信長軍に包囲され和睦。後に京都から追放され、城は廃絶してしまった。

 その後、織田期、豊臣期にもそれぞれ別の場所に「二条城」が築かれた。現在残る旧二条城は、南西約1キロの地点に徳川家康が築いたものだ。

 発掘調査では、義昭時代の二条城の推定規模も東西370メートル、南北390メートルと明らかになった。

 発掘調査を担当した民間団体「古代文化調査会」の家崎孝治代表は「義昭の二条城より家康の二条城の方がやや規模は大きいが、全体的な規格は似ている」と指摘する。平地の城造りは「天下人」に着実に受け継がれたようだ。

 中井教授は「家康は源氏を名乗り、源氏が継いできた征夷大将軍になった人物。源氏の正統継承者、義昭の城の近くに似た城をあえて築くことで、源氏の直系だと朝廷にアピールしたかったのかもしれない」と推し量った。

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  • 旧二条城跡から見つかった足利義昭が造ったとみられる〝第3の堀〟=京都市上京区
  • 「武衛陣第」を巡っていたとみられる堀跡(古代文化調査会提供)

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