五輪柔道 異様な大ブーイング、銀メダル原沢久喜の妹「ちょっとうれしくて共感」
更新遅咲きだった。小学校に入ってすぐ柔道を始めたもののなかなか結果が出ない。原沢が通っていた道場の顧問だった下関柔道協会の三宅寛会長(70)は「市内の大会でも負けていた。めげずに柔道を続けたことで花が開いたのだろう」と語る。
体は小さく、中学校まで無名の選手だった。高校に入り、1日5食にした。身長も伸び、体重は30キロ近く増え、90キロ級まで階級を上げた。日本大学入学前、敏江さんは「五輪ぐらいちゃんと目指すようにやりなさいよ」と送り出した。注目を浴びたのは、平成24年の講道館杯で優勝してからだ。25年の全日本選手権で決勝に進出し、一躍五輪候補に。
この日のスタンドでは「世界に輝け、下関の星」などと寄せ書きがいっぱいの日の丸が掲げられ、願い通りのスターになった。
「まだまだ未熟。常に努力しなければならない。日本の柔道を支えるぐらいの気持ちでやってほしい」。敏江さんは息子にさらなる成長を望んだ。









