骨折でも「何としても出して」 元広島監督の古葉氏「早すぎる」、教え子の衣笠氏悼む
更新衣笠さんらを主力とする広島の監督として1975年に初優勝し、その後も衣笠さんと3度のリーグ優勝と日本一を遂げた古葉竹識・東京国際大野球部名誉監督(82)は「何でかな…。71歳は早すぎる」と教え子の死を悼んだ。
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古葉さんが広島の監督に就任したのは75年のシーズン途中。衣笠さんは山本浩二さんと並ぶ中心選手で「自分たちが頑張らなくてはという気持ちにあふれていた」という頼もしい存在だった。
打撃不振に陥ると、本拠地・広島の試合では早出練習で打ち込み、遠征中は試合後にホテルへ戻ると黙々と素振りを続けた。「サチ(衣笠さん)は何としても調子を取り戻そうと必死だった」と回想する。
もっとも鮮烈な思い出は79年8月に巨人戦で死球を受け、左肩甲骨を骨折したときのことだ。「明日もベンチへ入ります。何としても試合に出してください」と直訴する衣笠さんへ「よし分かった。必ずチャンスはある。準備しておけ」と古葉さんも約束した。
翌日の試合に代打で出場し、まさに「鉄人」の異名にふさわしい伝説を残した衣笠さんは、87年で引退するまでに2215試合連続出場の世界記録(当時)を樹立した。
「一度はサチの指導者になった姿も見たかった」と残念がる古葉さん。「お疲れさま。ありがとうね」と、故人に呼びかけた。(三浦馨)

