幻の「出石鉄道SL」、原寸大段ボール模型で復元へ 新たな観光資源となるか
更新戦後は町民による復活運動も起きたがかなわず、代償のバス運送(自動車運輸営業権)はその後、地元のバス会社に譲渡。名前だけ存続していた鉄道会社は昭和45年に正式に廃止され、同町は鉄道アクセスがないまま現在に至っている。
<< 下に続く >>
その出石鉄道を最初に走ったのは蒸気機関車でなくガソリンカーだった。煙がでない汽車として珍しがられたが、いかんせん馬力がない。地元の芸者たちに都々逸で「出石鉄道は煙も吐かぬ 吐かぬはずだよ人が押す チョイナチョイナ」と歌われたほどで、安価なガソリンカーの採用は「安物買いの銭失い」といわれた。
蒸気機関車はその後に導入され、3台が貨物、客車を引いた。「6号」は昭和11年に導入。しかし、26年に解体され、いつしか忘れ去られたという。
迫力の復元模型
原寸大の復元模型は、横7.8メートル、幅2.2メートル、高さ3.5メートル。作業は同支部で行い、出石名物の皿そば店の店主や建築士、技能士ら20~30代の会員約20人が連日集まって段ボールをくりぬいたり、切り張りしたりしている。車輪だけでも直径1.4メートルあり、段ボールといえどもけっこうな迫力だ。模型は9月1日に完成披露の予定。
明治以降の鉄道草創期、日本海からの海上攻撃を避ける輸送路確保などのため、京都・丹後地方から、出石町や近畿最高峰の氷ノ山(ひょうのせん)付近を通り、鳥取・若桜(わかさ)町まで結ぶ山間の「但馬鉄道計画」があったという。出石鉄道はその一部に位置づけられていたといい、現在は橋脚跡などが残るものの、起点の出石駅をはじめ廃線跡を見つけるのは難しい。

