SankeiBiz for mobile

【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】築山殿と信康事件(岡崎市) 夫婦不和から親子対決か 

記事詳細

【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】築山殿と信康事件(岡崎市) 夫婦不和から親子対決か 

更新

 近年、極められた研究成果では、築山殿は岡崎城内の築山ではなく、城外の惣持尼寺に幽閉同然の生活を強いられていたという。さらに浜松城の家康は側室の西郷の局が身の回りの世話をしており、築山殿は正室の地位になかったとする衝撃的な意見である。

<< 下に続く >>

 信康と徳姫の不和に端を発し、父・家康との対立が始まり、母・築山殿に対する恣意(しい)的な行動に反抗したとみる。これは武田氏に通じ、信康暗殺を目論んで処刑された大須賀弥四郎事件と結び付く。

 母子の死後、岡崎では疫病が流行るなどしたため、家康の命を受けた石川数正が鎮魂に奔走したとされる。信康は岡崎城東の若宮八幡宮に、築山殿は祐傳寺(後に八柱神社に合祀(ごうし))に供養塔(首塚)がまつられている。(静岡古城研究会会長 水野茂)

ランキング

Facebook Messanger登録

あなたに合わせたニュースを毎日お届け

Facebook Messangerを登録した時のイメージ画像です