趣味・レジャー

平成の現場を歩く(1)ジュリアナ東京 バブリーの象徴、今や史跡に

 夏草がもえ出す芝生の広場。最先端ビルと緑が調和した港区芝浦1丁目の再開発地区の隣に、9階建ての大きな古いビルが現れた。

 かつて、この1階に伝説のディスコ「ジュリアナ東京」があった。ボディコン女性たちが扇子を振り回し踊り狂う…。そんなイメージが刷り込まれているが、平成3年5月のオープン当初はかなり違うムードだった。

 総合商社の日商岩井(当時)と英国企業の出資により開業。コンセプトは「普通のOLが上品な夜を過ごせる、英国資本のコンサバティブディスコ」。

 この頃、25歳の筆者は地元芝浦の公団住宅に住んでおり、産経新聞自由が丘支局(当時)勤務1年目だった。開業間もない夜。最寄りのJR田町駅で同年代の男性2人組に声をかけられた。「男同士だと入場できないから、一緒に行ってもらえないかな?」。外資系銀行の名刺も差し出された。中をのぞいてみたい。好奇心が背中を押した。

 巨大な扉が開くと、地鳴りのようなサウンド。高い天井から鮮やかな照明がグルグルと交錯する中、男女がディスコミュージックに体を揺らす。曲は耳にしたものが多く馴染みやすい。倉庫を改装したフロアは広く適度なにぎわいだった。

 男性の多くは仕事帰りのスーツ姿。当時はゆったりしたダブルスーツが定番で、派手に踊っても破れる心配はなさそうだ。かたや、大きな肩パットにウエストを絞り、タイトスカートのカラフルなスーツで着飾った“お嬢様”たち。女性だけが踊れるというお立ち台は空いており、黒人女性がクールにステップを踏んでいる。「上ってみる?」「ははは無理、無理!」。お祭り気分のフロアの外では、株価の暴落と不況の足音が不気味に迫る。

 それからしばらくした後、「過激なお立ち台」との週刊誌報道を見て驚いた。それは、筆者が見たジュリアナ東京とは別物だった。お尻が見えそうなワンピース姿で羽根扇子を振り回す女衆…。イケイケの熱気だ。この光景は、バブルを象徴するシーンとして今もよく使われているが、日本経済のバブルとジュリアナ東京という「点」のバブルには、明確に時間軸のズレがあった。バブルはすでに崩壊していた。

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