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日本古来の「山陰柴犬」復活 絶滅危機からの奇跡

 順調に進むとみられた保存活動だったが、先の大戦では食糧難や軍用犬の提供などから飼育が困難に。活動に理解を示した当時の林敬三鳥取県知事の支援で乗り切ったが、終戦時には約20頭にまで減少していた。

 戦後も昭和26~27年、36~37年に犬の伝染病・ジステンパーが県内で大流行。鳥取は都市部に比べて予防ワクチンの普及が遅れており、山陰犬舎の犬たちも相次いで死んだという。

 育成会の結成

 ジステンパーの流行後も県外にいた山陰柴犬により、かろうじて血統を残すことができた。だが、山陰柴犬は1度の出産で2~3頭しか産まないなど他の日本犬に比べて少産な上、発情期も少ないことなどから頭数が増えず、長く低迷期が続いた。

 危機感を抱いた愛好者らは平成16年に山陰柴犬育成会を結成。飼育の助言や繁殖の手伝いのほか、飼い主が一堂に会する鑑賞会を開くなどの活動を続けてきた。

 近年はインターネットに取り上げられる機会が増え、その風貌や気質からジワジワと人気が上昇。6年に約100頭だった数は、現在約450頭に増えている。

 育成会の松本守人事務局長(62)は「山陰柴犬を守るには多くの人に知ってもらうことが重要。興味を持ってくれる人を増やしたい」と意気込んでいる。

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