資金難で“迷走”出口みえず 世界的数学者・岡潔の記念館構想
和歌山県橋本市ゆかりの世界的数学者、岡潔(1901~78年)の功績を紹介する「記念館」を造る構想が、地元で浮上しては消えている。資金面や耐震面の課題が解決できないためで、最近は新築をあきらめ、少子化で空いた既存の小学校の教室を活用する案も検討されている。記念館は地元にとっての悲願だが、迷走の出口はまだ見えていない。(山田淳史)
世界を驚かせた業績
岡は大阪市生まれだが、父の実家の和歌山県伊都郡紀見村(現橋本市)で幼少期を過ごした。
京都帝国大(現京都大)を卒業後、3年間フランスに留学。数学の「多変数函数(かんすう)論」の研究を生涯のテーマとし、長年かけて世界的難問とされた3問を解き明かした。
あまりの業績に、先進地の欧州では当初、一人の数学者によるものとは信じられず、「岡潔」は数学者集団のペンネームと思われていたというエピソードも。
本業の他にも、『春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)』などの名エッセーを残し、日本の在り方に警鐘を鳴らした深遠な思想家としても知られた。
財政難、耐震問題で迷走
橋本市は、そんな地元の偉人の業績を広くアピールしようと、平成25年度に「岡潔顕彰基金」を設立。記念館を建設する構想が動き出した。
しかし構想は迷走する。当初は新築を想定していた記念館だが、財政難のため既存建物の活用案に変更。岡の実家があった市内の紀見峠の民家活用などを検討したが、耐震面の問題で断念した。
一方、市は記念館建設に充てるため、インターネットを通して広く資金を集める「ガバメントクラウドファンディング」を数回にわたり実施。一般の寄付と合わせ、30年度までに132件、計715万9000円を集めた。
しかし、記念館の構想が中断しているため使い道は宙に浮いたまま。市の担当者は「土地や建物の大きさも決まっていない状態なので、具体的な試算を決められない」と頭を悩ませる。
記念館建設は悲願だが
岡に関する講演会などを開催している市民有志らによる顕彰団体「橋本市岡潔数学WAVE」にとっても、記念館建設は悲願。過去には市内の別の民家の活用を提案し、所有者の同意が得られず断念した経緯もある。
同団体の佐藤律子副会長は「これだけ何度も記念館の建設が断念されるのは、岡先生の思想を別の形で伝える必要があるという教えかも…」といい、著書を参考に岡の箴言(しんげん)をまとめた「岡潔先生箴言かるた」を発売したほか、金言などを紹介する冊子の作成にも力を入れている。
そんな中、最近検討されているのが、紀見峠近くの市立柱本小学校の空き教室を活用する案だ。市によると、同校はかつて児童数の多い「マンモス校」だったが、近年は少子化の影響で、空き教室が目立っているという。
学校は、まさに岡の教えを学ぶ場としては最適。耐震面も問題はなく、記念館の新築を希望していた団体も歩み寄りやすい案として注目されている。
ただ、「いざ活用するとなると、防犯面や、どうやって人を呼び込むかなど今後詰めていく課題がある」(市の担当者)といい、関係者の中には「空き教室は暫定的に利用し、記念館はその中で改めて構想してはどうか」といった意見もある。
市の担当者は「これまで集めた資金をしっかり活用し、なんとか記念館を開設したい」と話している。