家族がいてもいなくても

(663)離れて分かるありがたさ

 東京に行ったついでに、ふらふらと一人旅をしてきた。

 那須に戻った後は、自室で自粛がルール。わが「サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)」でのその期間はなんと2週間。

 毎日、熱を測ること、密にならないようにすること、自主運行の車には乗らないこと、などなどの決まりがある。

 これからどうなるか分からない状況の中、行けるうちに行っておこうということか、周りには首都圏帰りの自粛中の人が少なくない。

 私も、この期間は1人で「原っぱ」でハウスの色塗りをしたり。お隣の「好き勝手農園」で野菜を収穫したりして過ごしていた。

 そんなわけで、食堂にも頻繁に行かないようにしようと、久々に自炊なども試みた。

 インゲン、大根、里芋、空心菜、落花生など。畑で収穫して戻ったら、「すぐにゆでたり、煮たり、ふかしたりしなさい」と言われて実行することに。

 確かに、とれたての野菜は柔らかくて甘い。

 全然違う。

 掘りたての生落花生を45分ほどゆでたものを初めて食べたりしたけれど、そのおいしさに驚いてしまった。

 そのうちに、自粛中と知って、隣人からおすそ分けも…。

 えっ、みんな、こんなにおいしいものを自分で作っているんだ、と感心しつつ、わずかな距離で行けるところに、いろいろな人と住み合っている環境のありがたさが、身に染みた。

 そんなこんなのおかげで、自粛7日目あたりから、なぜか落ち込んでいた私の不調曲線が。どんどん上昇してきた。 

 そう、どうも新型コロナウイルス禍での一人旅は、私の心身によくなかったようなのだ。

 いくら「GoToトラベル」や「GoToイート」で、お得になっても、この国には目下、妙な閉塞感がつきまとっている。

 人と距離をとるとか、感染するんじゃないのか、させるんじゃないのか、という懸念は、想像以上に心の負担になるのだという思いを新たにした。

 そして、「旅は1人に限る」と、どこにでも気楽に行っていた私も、帰ってきて、体になじんだ生活のリズムを取り戻すには、ずいぶん時間のかかる年齢になっているのだと、ついに自覚した。

 自粛10日目。やっとそのリズムも戻り、元気が蘇ってきた。

 もうかつて夢見ていたように森の中の一軒家に1人で暮らす、なんてことはできない、と思い知ったのだった。(ノンフィクション作家 久田恵)

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