ラーメンとニッポン経済

1955-「ラーメン」と「つけ麺」 強力な保守合同で“国民食の55年体制”が確立

佐々木正孝
佐々木正孝

■江戸そばカルチャーを基盤にラーメンは勃興した

 本連載第1回で紹介した通り、山岸が修行を積んだ丸長グループは長野県をバックボーンとするそば職人がオリジナルメンバー。彼らは日本そばの技法を学んだ職人ならではのアプローチで日本そば伝統のカツオ節、サバ節といった魚介系ダシをスープに加え、ラーメンを作った。時は日本人が脂好みに傾斜しつつあった1955年。脂っぽさもあって醤油、魚介が舌になじむ味が熱狂的に支持されたのも当然だろう。

しかし、そもそもラーメンは日本そばの調理技法を積極的に取り入れて完成したものだ。食文化史研究科の岡田哲はラーメン・日本そばの関連を5ポイントにまとめている。

1.麺とつゆ(スープ)について、独特の旨味を出すために、さまざまな工夫が凝らされている

2.だし汁(スープ)、かえし(タレ)の二種類が必要である

3.ホウレン草、ネギなどの青味を添えるのは、日本そばの発想である

4.トッピングの海苔は花巻、ナルトは五目そば・おかめそばの定番

5.薬味のコショウも江戸期のそば(うどん)に用いられていたもの

 豚骨や鶏ガラ、煮干しやカツオ節などでとったダシに、醤油や塩、味噌のタレを合わせてスープをとるのがラーメンの基本だ。中国の麺料理として取り入れられたラーメンも、原初の「南京そば」は具材のトッピングがなく、タレも使用しない塩味のスープだった。「中華そば」へと進化する過程でそば様の具材が乗るようになり、タレ+ダシという複合的な製法が構築されていく。

 ラーメン、つけ麺が持つ「麺へのこだわり」も日本そばゆずり。江戸時代には旬の素材を練り込んだゆず切り、ごま切り、わさび切りなど50種類以上も派生。多彩な麺のバリエーションが既に生まれていた。原産国や品種によってセレクトした小麦粉を採用し、機械打ち・手打ちなど打ち方も突き詰めていくのは、日本そばの老舗マエストロもラーメン職人も同様である。

 江戸期の蕎麦通は「歯切れがよく、コシが立ち、しこしこ、ふっくりしていて、つながりがよく、きれいな姿で、しなやかでしまり、甘味や旨味があり、色がよく、香味がよい」ものをおいしいそばと認めていたという(『江戸東京グルメ歳時記』雄山閣)。現今のラーメン職人、フリークのこだわりに通ずるものを感じないだろうか。

 江戸の日本そばは具をのせた種物も多彩だ。寛延年間にはしっぽく、安永は花巻、文化は鴨南蛮、文政は天ぷらそば、幕末にはおかめそばが流行した。文明開化の明治期にはコロッケそば、カレー南蛮、とんかつそばが登場する。これまた、現在のバリエーション豊かなラーメントッピングの原点とも言える。

 職人の探究心と、知見を持った消費者の反応が好スパイラルをなし、多彩で高品質なプロダクトが次々に生み出されていく。現在のラーメンムーブメントは江戸~明治のそばムーブメントの再現なのだ。

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