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意外と知られてない? 世界初の高速鉄道に影響与えた小田急ロマンスカー

SankeiBiz編集部
SankeiBiz編集部

 飛行機のような流麗な流線形を描く斬新なデザイン。初代ロマンスカーのコンセプトは軽量、低重心だった。鉄道技術研究所には、戦時中に航空機の開発を手掛けた技術者も少なくなく、SE車の設計にあたっては空気抵抗や走行安定性などが考慮された。

 SE車の登場は1957年。先の大戦が終戦を迎え、12年後のことである。そんな時代に鮮烈なデビューを果たし、小田急線内で試験走行を重ねると、国鉄(現JR)の東海道本線で高速試験に臨む。

 これも前例のないことだった。当時のことである。もしかしたら、私鉄のごとき車両が天下の国鉄の営業路線で試験するなどまかりならん、という空気さえ漂っていたかもしれない。この高速試験の実施に対して、国鉄内でも抵抗があったとされる。

 だが、日本の鉄道史上初となると私鉄車両による国鉄線での高速試験は行われ、同年9月、SE車は時速145キロという狭軌鉄道での世界最高速度記録を樹立する。

 日本の在来線の多くが、海外の鉄道で採用されている軌間1435ミリの「標準軌」より狭い線路幅1067ミリだ。走行安定性や輸送量において狭軌はハンディを抱えるが、その中で初代ロマンスカーSE車は快挙を成し遂げた。

 この試験成果は「こだま形」と呼ばれた国鉄20系(のちの151系)特急車両の開発を経て、標準軌で建設された新幹線の車両開発にも役立てられていく。

 1960年代、モータリゼーションの発展によって国内外では「鉄道斜陽論」が唱えられていた。今の言葉で言えば、「鉄道はオワコン」という雰囲気を断ち切り、高速鉄道という新たな時代の幕開けを告げたのが、東海道新幹線の誕生であった。安全で大量輸送が可能な世界初の高速鉄道「Shinkansen」は、海外の鉄道関係者をも奮い立たせたといわれる。フランスのTGVやドイツのICEなど欧州をはじめ世界各地で高速鉄道の建設が進んだことが、何よりの証左だろう。

 高速鉄道の黎明期に、礎の一つを築いた初代ロマンスカー。鉄道ファンらで構成する「鉄道友の会」が優秀な車両を表彰する「ブルーリボン賞」もSE車をきっかけに創設された。もちろん、第1回ブルーリボン賞を受賞したのはSE車だ。爾来(じらい)、歴代ロマンスカーは30000形(EXE、EXEα)を除くすべての形式が受賞の栄に浴している。

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