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アマの歴史を背負った“幻のいも”復活劇 伝統野菜再生の歩みとは

 農業の維持に課題

 尼藷のほかにも、市や同JAが復活に力を入れている伝統野菜がある。「武(む)庫(こ)一(いっ)寸(すん)」と呼ばれるソラマメと同市東部で作られている「田能の里芋(さといも)」だ。

 武庫一寸は、豆粒が約1寸(3・3センチ)になるためその名が付いた。天平8(736)年、来日したインド僧が行基上人に渡した「王墳豆(おたふくまめ)」を摂津・武庫村(現・尼崎市)で試しに作ったとのいわれがある。

 戦後、栽培は衰退し「幻の豆」となっていたが、尼藷の復活プロジェクトと同時期に栽培が再開され、昨年度は21戸約6千平方メートルで育てられ、約2500キロの出荷実績がある。収穫期は5月中で短いため、長期間味わえるよう、市内イタリア料理店の監修で瓶詰の加工品「一寸そらまめのやみつきオイル漬」としても商品化する。

 伝統野菜の復活は地元での農産物への関心を高めるのに一役買っている。しかし尼崎市も、大阪と神戸に挟まれた阪神間の住宅都市の一つだけに、農業の維持が難しいのも現実だ。同JAによると、人口約46万人の尼崎市の農家は約300戸。栽培面積は市域の約2%しかなく、後継者不足にも直面している。

 尼藷栽培も、市が募集するボランティアによって支えられている。同JA尼崎営農支援センターの営農相談員、大西真澄さん(28)は「尼崎の農業の未来に危機感はある。なくなっていくのを見るのはつらい」と話し、起死回生の一手を模索する。伝統野菜が語るのは、その土地の歴史。よみがえった尼藷を未来につなげたい考えだ。

 尼崎市とJA兵庫六甲は、市内農産物を「あまやさい」と名付け、地域の市場、スーパーなどに送り出している。尼藷などの伝統野菜とは別に、コマツナやホウレンソウ、ネギ、ミズナなどおなじみの葉物をPRしている。

 「市民に地元の新鮮な野菜を知って、買って、味わってほしいから」と令和元年度から始めたブランド。ロゴマークの入った包装で販売する。

 同市農政課の担当者は「市内産青果の売り上げが伸びれば農家の収益増になり、点在する農地の維持にもつながる」とブランド化について説明。都市農業の衰退にどう歯止めをかけるか腐心する。今年度からはまた、「農福連携」にも乗り出した。市内の障害者福祉施設に農地を借りてもらい、野菜の生産、販売で収益に結びつける。同課は「反応は少なくない」と手応えを感じている。

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