ラーメンとニッポン経済

1994-バブルの瓦礫に響くご当地ラーメンの胎動 新横浜ラーメン博物館オープン

佐々木正孝
佐々木正孝

 とはいえ、同館は内装などのギミックに頼りメジャーなラーメン店をただ集めた集合施設、フードコートにはとどまらなかった。岩岡らプランニングチームはウォルト・ディズニーが大衆を魅了した方法論を参照。「ディズニーの魔法の世界にいるときのように、老いも若きも、世界中の誰もが魅了されるような」テーマパークの日本型として、ラーメンアミューズメント施設を設計していったのである。

■ご当地ラーメンをブランディングさせ、知名度を上げていった

 『新横浜ラーメン博物館』創設者の岩岡洋は、1992年に出身の青山学院大学ラグビー部OBメンバーを中心に同館発足に向けた事業計画をスタートした。父が経営する不動産会社に入社後、1990年に「新横浜にこんなものがあったらしいなの会」を立ち上げている。これは新横浜エリアの地権者2世、企業家2世を集めた若手経営者集団だ。

 1976年に新幹線「ひかり」の停車駅になった新横浜だが、80年代までは横浜アリーナとオフィスビルが目立つのみで、週末には閑散として野犬が出没するほどのゴーストタウンだったという。しかし、岩岡らは昼間人口が着実に増えつつある新横浜エリアの伸びしろに着目した。1990年には2万5000人以上のオフィスワーカーが働くまでになっていたビジネスタウン、そして輝ける高度経済成長期、坂道を駆け上がっていく日本を象徴する「ラーメン」に商機を見出したのだ。

「ラーメンは、街並み再現でもこだわった『庶民的で活気がある界隈』には必ずあるものです。日本人には珍しく、自分の好みをはっきり言う食べ物で、一人一人がなんらかのこだわりを持つほど魅力的な食べ物でもあります。ラーメンを掘り下げることで、世界中探しても新横浜にしかない魅力的なスポットができる、という確信を持ちました」(『ラーメンがなくなる日』岩岡洋・主婦の友新書)

 その確信は、確かな数字として現れた。オープン直後から1日に1万人以上が詰めかけるようになり、入館までは1時間待ちという東京ディズニーリゾートもかくや、という盛況ぶり。

 岩岡らスタッフは全国のラーメン店1000軒以上を食べ歩き、足で協力店探しに東奔西走。40軒の有力候補から8軒に絞って粘り強い誘致交渉を続け、札幌・喜多方・横浜(家系)・博多・熊本から1軒、東京から3軒というラインナップを固めた。特に、道外初進出として話題を呼んだ札幌ラーメンの『すみれ』(出店時の名称)は、3年をかけ100回以上も訪問して岩岡が口説いたという。

 時は90年代初頭、インターネット普及前夜。地方のラーメンといえば札幌味噌ラーメン、博多豚骨ラーメン、喜多方ラーメンという「日本三大ラーメン」が君臨し、その他地方のローカル麺は周知に恵まれず、大衆が実食する機会も少なかった。ところが、新横浜ラーメン博物館の商業的な成功はマイナーだった地方のラーメンが首都圏で受け入れられることを証明。

 1998年には、ラーメン評論家の石神秀幸がテレビ番組で推薦して注目を集めた「和歌山ラーメン」から老舗『井出商店』が見参。その他、独特な食感の麺とアジ節など魚介系ダシを主軸に据えた旭川ラーメン『旭川らぅめん青葉』、澄んだ塩スープの函館ラーメン『マメさん』の出店により、北海道三大ラーメンが強烈にブランディング。チャーシューがわりに甘辛豚バラ肉をのせた徳島ラーメン『いのたに』は「20世紀最後のご当地ラーメン」として出店し、2013年に出店した高地・須崎鍋焼きラーメン『谷口食堂』などと四国のラーメン文化を印象づけている。

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