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現代の「ミリオタ」像はいつ生まれたのか? 戦記雑誌『丸』の軌跡

 戦争を悪として否定する戦後の日本社会で、しかし戦争や軍事に関わる情報を「趣味」とする人々は少なからず存在してきた。創刊70年以上の歴史を持つ老舗軍事月刊誌『丸』(潮書房光人新社発行)を分析した注目作『<趣味>としての戦争 戦記雑誌『丸』の文化史』(創元社)を刊行したメディア史研究者の佐藤彰宣・流通科学大専任講師(32)は、現在の兵器に主眼を置いた軍事マニア像が形成される過程をたどり、戦後日本での軍事の語られ方の変遷を読み解く。

 「軍オタ」自体に関心

 『丸』は昭和23年に米誌『リーダーズ・ダイジェスト』の影響を受けた総合雑誌として創刊され、出版元の変更を重ねながら、31年に第二次大戦の従軍体験を中心とした戦記雑誌に路線変更。以後、旧陸海軍経験者による戦記から現代軍事情報、各種兵器のメカニズムなど軍事に関わる幅広い話題を扱い、石破茂・元防衛相やジャーナリストの池上彰氏ら著名人も愛読者であったことを明かす日本の代表的軍事雑誌として今日まで存続してきた。

 佐藤専任講師は平成元年生まれ。戦争の記憶などを研究テーマとする歴史社会学者の福間良明・立命館大教授の下で学んだ。もともと軍事に関心はなかったが、同じ福間ゼミ生で熱烈な戦闘機マニアの友人と交流を重ねる中で、「兵器にそこまで熱烈な関心を抱くのはなぜだろう」と軍事マニアという存在自体に興味を抱いたのが今回の研究のきっかけだったという。

 「過去の『丸』を見ていくと、これまで自分が持っていた“ミリオタ”像が大きく変わりました」

 SF小説もあった

 リニューアルから間もない1950年代後半の『丸』は、戦死者の遺族や戦友だった元兵士らを主な読者として意識した勇壮な戦記を多数掲載していた。60年代に入ると戦争に参加していない若い世代が読者層として浮上し、軍艦や軍用機といった兵器のメカニズム自体にも関心が集まるようになる。

 だが、すぐ兵器一辺倒の誌面構成に変わったわけではなく、むしろ60年代後半には戦記や兵器の特集のかたわら小松左京らSF作家による「SF未来戦記」の連載やジャーナリズムで活躍する知識人を起用して政治・社会的な視点から戦争を論じる総合雑誌化が志向されていた。またベトナム反戦運動が盛り上がった70年代前半になると反戦平和主義を掲げて自衛隊や日米安保体制に否定的な「革新軍事評論家」が執筆陣として台頭するなど、誌面での軍事の語られ方にはかなりの振幅があった。

 今日、軍事マニアといえばまず兵器への偏愛が想起され、加えて自衛隊や政治的現実主義に親和的という保守的な印象が持たれているが、本書は『丸』の歴史を追うことで、こうしたイメージに一定の修正を促していく。

 不要になった理論武装

 現代の“ミリオタ”像が生まれる基点となったのは、戦後30年を過ぎた70年代後半という。同時期には艦船専門誌『丸スペシャル』、軍用機専門誌『丸メカニック』といったスピンオフ誌が相次いで創刊され、メカとしての個々の兵器への関心は戦記主体の『丸』本誌から離れて先鋭化していった。

 「70年代くらいまでは戦後民主主義に基づく『良識的な大人』からの白眼視があり、なぜ戦争や軍事に関心を持つのかという理由付けが必要だった。だがその緊張関係がだんだんなくなることで、フェティッシュ(細部偏愛的)に愛好することが可能になった」

 現代でも軍事マニアがよく口にする「戦争を知らずして平和を語るなかれ」といった慣用句も、戦後の風潮に反抗するための理論武装として成立したものだという。

 SF小説から革新系軍事評論まで、戦後社会の中で試行錯誤を重ねつつさまざまな角度で戦争と軍事を論じ続けた『丸』の来歴から、何が見えてくるのか。佐藤専任講師はこう語る。

 「現在、歴史認識や戦争についての考え方で分断が生じていますが、そうした凝り固まった語り方を解きほぐせるような議論のあり方が、かつてはあったことが見えてきました。戦後の日本社会で、公的な教育や政治ではないポップな領域で人々が戦争や平和についてどう考えてきたのかを知るために、『丸』は非常に重要な研究対象だと思います」

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