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【終戦70年】「若者は公のために生きてほしい」

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【終戦70年】「若者は公のために生きてほしい」

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 終戦から70年を迎えた15日、東京・靖国神社は深い祈りに包まれた。「負けるべくして負けた戦で、多くの有為な人材を失った」。陸軍少尉として本土決戦に備えているとき、終戦を迎えた和田泰一(やすいち)さん(90)=東京都品川区=は、悔しさを胸に戦後を生きてきた。静かに手を合わせながら「今日の繁栄があるのは英霊のおかげ」とかみしめ、次世代の人たちに祖国の未来を託した。

 本土決戦に備える

 昭和20年8月15日。鹿児島・志布志湾で本土決戦に備えていた。陸軍士官学校(第58期)を卒業後、少尉に任官して約2週間。陸士での作戦立案の課題は「何日もたせるか」が主題だった。鹿児島でも武器の一部は明治時代の日露戦争当時の砲で、住民は竹やり訓練に明け暮れていた。

 「近代戦の常識ではあり得ない」。そう考えながらも「国の存亡に関わる」と決死の覚悟だった。それだけに玉音放送に「頭が真っ白になった」という。

 忘れられない人がいる。近衛文麿元首相の長男で元陸軍中尉の文隆氏。18年末、士官候補生だった和田さんは3カ月間、同じ部隊に所属した。

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  • 戦没者追悼式に参列した南颯翔(はやと)君=2015年8月15日、東京都千代田区の日本武道館(石野哲郎撮影)

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