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「誤りは犯したが、罪は犯していない」 中国、ある元造反派リーダーの死

 中国の文化大革命(文革)初期、北京大学の造反派指導者として活躍した聶元梓(じょう・げんし)が先月末、98歳で亡くなった。10月で70年になる「共産党の中国」では、党の指導(一党支配体制)こそが最も重要であることが、彼女の生涯からもうかがわれる。(元滋賀県立大学教授・荒井利明)

 中国共産党が創立された1921年に河南省で生まれた聶元梓が造反派の象徴的人物となったのは、文革開始直後の66年5月に北京大学の責任者らを批判する壁新聞を学内に貼り出し、毛沢東に「全国初のマルクス・レーニン主義の壁新聞」と称賛されたからである。

 だが、聶元梓が造反派リーダーとして名をはせた期間は長くはなかった。毛沢東は68年夏、大学の造反派は用済みとばかりに弾圧に転じ、聶元梓も隔離審査の身となり、自由を失った。

 聶元梓の「悲劇」は、毛沢東が亡くなり、トウ小平ら文革中に失脚した老幹部が権力の座に復帰したとき、さらに深まった。78年に逮捕され、83年に文革初期の言動により、反革命宣伝扇動罪で懲役17年に処せられた。文革初期に活躍したものの、権力者に使い捨てられ、文革後は監獄生活を余儀なくされるという生涯は、多くの造反派リーダーに共通する。

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