海外情勢

東南ア派遣の吉本芸人がコロナ禍で奮闘 帰国せず居残り「人々が喜ぶなら」

 新型コロナウイルスの感染拡大により世界各国が出入国規制を強化する中、日本に帰国することなく東南アジアに残ることになった日本のお笑い芸人たちが懸命な情報発信に努めている。5年前、吉本興業が始めた「あなたの街に住みますプロジェクト」の海外版「住みますアジア」の芸人たちだ。日本で売れず海外で一旗揚げようという者、日本に妻子を残した者、妻子と一緒に現地に踏みとどまる者。彼らの奮闘の様子を取材した。

 「人々が喜ぶなら」

 「イベントや催事は全て中止。1万バーツ(約3万3700円)の家賃を払ったら、ほとんど手元に残らない状況。たまに仕事が入っても、(タクシー代がないから)3キロも4キロも歩いていく。でもね、現地の人々が喜んでくれればこんなうれしいことはない」

 そう話すのは、川崎市出身のあっぱれコイズミさん(41)。今年でちょうど芸歴20年。「日本では先輩からもらう仕事ばかりで、しかも実家暮らし。このままで良いのかと逡巡(しゅんじゅん)していたところにオーディションがあった。一生に一度ぐらい自分の力で生きてみよう」と応募。見事、高倍率を突破した。

 とはいえ、初めての海外暮らしで、言葉も地理も何も分からない。派遣元の吉本からはわずかな支度金しか支給されない。自給自足で、人脈ばかりか交通費も食費も自身で稼がねばならなかった。

 持ち前の体を張った芸が得意。日本大使館に乗り込んで、マスコット「ムエタイシ」の役を射止めた。タイ全土で展開されたキャラバンに加わり、自ら考案した「ムエタイシ君ダンス」はタイの子供たちの人気の的に。少しだけ自信につながった。

 2年、3年と過ぎると少しずつ顔も売れ、人気テレビのお笑い役や映画の出演話も舞い込むようになった。タイで高興行収入を記録した映画「ノーン・ピー・ティーラック」のオーディションでは、タイ語のせりふが覚えられず悔し泣きしたところを「面白いやつだ」と抜擢(ばってき)される一幕もあった。

 だが、今年3月以降のコロナ禍で仕事はすっかり失われ、吉本からは帰国の打診も。応じて帰る者もいたが、あっぱれさんが選んだ道はタイ残留だった。「ここで投げ出したくない」という思いだった。

 同様にベトナム、フィリピン、マレーシアに残った3人と、日本の子供たち向けに現地の言葉を教えるオンラインサイトを立ち上げた。小学1年生から6年生までの約20人と回線でつながり、「アジアの言葉を知って友達をつくろう」という取り組みを行っている。こうしたものが将来、収益の柱になってくれればという思いもある。だが、今は自分たちが役に立つことが何よりもうれしい。

 過酷な競争社会

 熊本県出身でベトナム・ホーチミンに住むダブルウィッシュ・中川さん(38)は今年1月、妻が第2子を出産した。妻は帰国してほしそうだったが、あえてコロナ禍の海外に身を置き続けた。ベトナム語を日本人に教えるサイトを立ち上げ、認知度も徐々に上昇。「もう少し、もう少し」と家族との再会を心待ちにする。

 埼玉県出身、フィリピン・マニラのほりっこしさん(34)はフィリピン人のコメディアンと知り合った。タガログ語を覚え、ほぼ毎日インターネットライブで現地向けにコアな情報発信を行っている。既に開催回数は160回を超え、日一日と強固に成長するフィリピンでの人脈が将来の財産だ。

 マレーシア・クアラルンプールのKLキンジョーさん(32)は大阪府の出身。学生時代、吉本と二足のわらじを履こうとしたら両親から叱られた。中退後は真っすぐお笑いの世界へ。現地ではマレー語チャンネルを開設し、日本語の字幕を付けて発信を続けている。コロナ禍でも妻子と一緒に暮らす道を選んだ。

 テレビや舞台に登場する芸人たちの世界は一見華やかだ。だが、吉本だけで所属タレントは6000人という過酷な競争社会。そこには懸命に生きる人々がいる。オンラインで4カ国を結び取材する中であっぱれさんは言った。「少しでも豊かな暮らしをしたいと思ったら芸人は辞めたほうがいい。だが、それとは違う得られるものがあるのも事実。今だから言える。タイに来て本当によかったと」(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)

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