削ぎ落とし原石を探すと見えてくる本質
真山 そんな想いを音楽にするために、今までの「小曽根の音楽」の型を破られたんでしょうね。でも、そういう冒険をしないと自分に飽きちゃいますから。
小曽根 そうなんですね。曲を書いていると自然と自分流の落としどころみたいなものがあるのですが、今回は、それに反抗してみた。具体的に言うと、普段なら元あるイメージを脚色していきながら曲が生まれていくのですが、今回は、イメージの元となる“原石”を探すために、削ぎ落としたんです。すると、自然に祈りが生まれてきた。
真山 その心境、とても共感できます。私自身も今、「とにかく削ぎ落とす」ことに腐心しているところがあります。今の社会は「わかりやすさ」ばかりが求められて、説明過剰になる風潮があります。でもそれでは、大切な真意とか本質が伝わらなくなる気がします。逆に説明をどんどん削ぎ落とし、本当に言いたいことだけを残すと、不思議とその方が、読者の方に「言いたいこと」が伝わるのだと思えるようになってきました。
小曽根 いわゆる行間を読んでもらうということですね。それは、音楽にもあります。過剰じゃないから一音一音が心に届く。でも、それをどうつくる、あるいはどう演奏するのかを説明するのは、難しい。きっと、長年の経験と試行錯誤があって、そこから必然が生まれる。その大切さと面白さが分かってきた気がします。
真山 私は今、自分自身に「もっと枯れろ!」と言い続けています。元々、何事にも過剰な性格なので(笑)、もっと淡泊で達観できるようになりたい。それは、「冷たい大人になれ」という意味ではありません。逆に、人と距離を持つと、もっと穏やかに相手を見ることが出来ますし、相手の想いが自分の心に染みこみやすくなると思うんです。すると自ずと、過剰さが薄れていくのではないか。
きっと、そうやって円熟していくのだろうと思うようになってきました。