日本経済に暗雲か
多くの国民は、うわべのものであれ、肩書を重視している。内閣官房参与とそうでないのとでは、高橋教授の発言を世間がどう判断するか大きく異なるだろう。おそらく、高橋教授自身は内閣官房参与を辞めても「なんの変化もない」と思っているにちがいない。実際に菅首相との関係や、彼の発言はこれまで通りだろう。だが、肩書や見かけを重んずる人たちが多いことを侮るべきではない。
高橋教授は「『NHKと新聞』は嘘ばかり」「『官僚とマスコミ』は嘘ばかり」(いずれもPHP新書)の著者であり、既存のマスコミ批判について連日のように発言している。これを快く思わないマスコミ関係者も多いだろう。もちろん、いま挙げた両方の著作を読めば、批判されたマスコミ側が愚かなだけだったことがわかる。だが、今回のテレビなどの報道をみても、高橋教授をたたくことに重点が置かれていて公平とは言えなかった。
なかには、高橋教授が内閣官房参与の仕事で国から報酬を得ていたとするワイドショーもあった(テレビ朝日系情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」での玉川徹氏の発言)。この発言については、すぐに高橋教授自身が無報酬での勤務であったことを自身のYouTubeチャンネルで明らかにしている。個人批判の文脈で、あることないことを言うテレビの“風土”を端的に表している。
高橋教授の経済政策は、コロナ禍や不況に苦しむ人たちに積極的な経済支援を行うことを主張するものだ。積極的な財政政策や金融政策を行うことだ。政府と国民との間に立ち、当たり前の意見をずばりと言える人は、実は現在の経済政策を議論する場にはあまりいない。マスコミと世論の一部は、事実上の言葉狩りによって、政府の役職から反緊縮政策の専門家を追い出したことになる。
言葉狩りではない、と思う人も多いかもしれない。しかし、表現に問題はあるにせよ、それは本当に内閣官房参与の職を辞するほどのものだったのか、大いに疑問である。この結果、緊縮的な経済政策を好む政治家、財務省、マスコミ、ワイドショー民は留飲を下げているだろう。
当たり前だが、不況やコロナ禍で、政府がなにもしないことや、緊縮財政・金融政策を採用することは、国際的な経済政策の流れに逆らう以上に、むしろ偏狭な“カルト的傾向”だと言える。そして、この緊縮カルト的傾向は、日本では無視できないほど強い。今回の舌禍事件は、この緊縮カルトに勢いを与える出来事であったことは間違いない。“高橋洋一追放劇”は、日本の経済政策の行方に想像以上の暗雲をもたらすことだろう。
【田中秀臣の超経済学】は経済学者・田中秀臣氏が経済の話題を面白く、分かりやすく伝える連載です。アーカイブはこちら