先細りのままでよいのだろうか 日中民間交流のパイプは残せ
拓殖大学名誉教授・藤村幸義
日中関係が一挙に厳しくなっている。4月に菅義偉首相が訪米し、台湾問題などで米国に歩調を合わせる共同声明を出したことが、中国を怒らせた。中国側は福島第1原子力発電所からの放射性物質の処理水海洋放出問題でも厳しい対日批判を繰り返し、尖閣諸島の領有権問題では、領海侵入など一段と対日攻勢を強めている。
こうした関係悪化の背景に、中国側の強権的な政治姿勢があるのは、言うまでもない。英コーンウォールで開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)でも、共同宣言には台湾、南シナ海、尖閣諸島での緊張を高める諸行為、さらには新疆、香港での人権をめぐる諸問題などについて、中国を牽制(けんせい)する文言が並んだ。
筆者の周辺にいる日本人の中国への見方もがらりと変わってきた。欧米に駐在経験のある友人の中には、「習近平は21世紀のヒトラーだ。ゲシュタポを抱え、少数民族を圧迫し、香港ではズデーテン併合のように、国際協約を紙切れ同様に扱っている」と怒りをあらわにする者も出てきている。
一方、在日の中国人の友人はどうかというと、多くが肩身の狭い思いをしている。中国指導部のやりかたに疑問を感じていても、軽々には口に出せない。中国人同士で、ひっそりと肩を寄せ合って生活しているのが現状ではなかろうか。
こうした中で、日中の交流はどうすればよいのか。政府間の交流はともかく、民間交流までも、先細りのままにしておいてよいのだろうか。
近代中国文学界の巨匠である老舎(1899~1966年)は、激動の時代を生きてきた。生家が日本軍による略奪を受けるなど、当初は日本に憎しみを抱いていた。日本への嫌悪感は、彼の作品にも表れていた。
ところが、たまたま日本人の反戦活動家たちと会う機会があり、それをきっかけに老舎の対日観は変化していったという。日本は嫌っていても、付き合っている日本人は大切にするという姿勢である。老舎の代表作で、抗日戦争下に生きる庶民の生活を描いた『四世同堂』には、そうした変化がうかがわれる。
時代は異なるが、いまの日中関係においても、同じことが言えるのではないか。いくら政府間の関係が悪くても、個人と個人の交流にまで影響を及ばせてはならない。日中間の民間交流のパイプは、可能な限り残しておいた方がよい。