なぜ排出権取引に邁進するのか 「脱炭素」対応に意義
日本総合研究所・瀧口信一郎
中国は2021年2月に「全国炭素排出権交易管理弁法(試行)」を施行し、年間二酸化炭素(CO2)排出量2万6000トン以上の電力会社2225社が対象となる排出権取引を全国レベルで始めた。今月末には上海環境能源交易所で取引が開始される。
12年から北京市、天津市、上海市、重慶市、湖北省、広東省および深セン市の7省・市で実証し、その範囲を拡大してきたが、今回全国規模で取引する仕組みを整えた(図表)。取引対象となる排出量は40億トンと世界最大になり、25年までに石油化学、化学、建材、鉄鋼、非鉄金属、製紙、航空の7業種を加え、取引対象排出量50億トン、参加企業は1万社程度まで拡大する。
国際競争で主導権を
中国が市場メカニズムを活用し、「60年カーボンニュートラル」に本格的に踏み出したわけだが、資本主義国並みの金融市場を整備しているとはいえ、共産党政権下の中国が、排出権という金融取引手法にそこまで熱心に取り組むのはなぜか。
1つ目の理由は、金融取引手法というより課徴金制度に近く、取り組みが不十分な企業に罰則を与える目的があるということだ。実際、生態環境省気候変動対応局の李高・局長による「優秀な企業に報い、対応が遅れた企業は罰しながら、質の高い経済成長を促す」との発言もある。
2つ目の理由は、中国が電気自動車(EV)によって世界の自動車産業の覇権を握るのに不可欠であるということだ。EV産業振興のため、電力業界の脱炭素を進める必要がある。エンジンを使わないEVは走行時にCO2を排出しないが、石炭火力の電気を使えば、EVは石炭で走っているようなものだ。
3つ目の理由は、これが一番重要だが、気候変動対策は脱炭素価値を奪い合う国際競争であり、主導権を握るため自ら脱炭素価値の市場をコントロールする必要があるということだ。
中国の排出権取引は、パリ協定以前の気候変動に関わる国際的枠組みである京都議定書の時代(10年8月)に、「戦略的新興産業の育成・発展の促進に関する国務院の決定」で始まった。京都議定書の時代に、中国は「発展途上国」として排出削減の義務は負わず、クリーン開発メカニズム(CDM)の排出権取引制度によりコストをかけずに再生可能エネルギー導入や省エネ化を進められるというメリットを享受した。
一方、欧州を中心とする先進国主導のためプロジェクトの数や自国のコストについて主張できず、言われるがまま受け入れざるを得ない面もあった。そのようなメリット・デメリットを理解したことで、他国の支配を受けるのではなく、自ら支配しなければならないとの認識に至り、自国の排出権取引市場創設に至ったのである。
「脱炭素」対応に意義
戦略産業であるEVの脱炭素価値にも中国は注目している。中国は、温室効果ガス排出量が相対的に多いガソリン車の生産台数に応じEVなど新エネルギー車(NEV)の生産を義務付け、NEVの生産台数や燃費などが一定基準に達しない場合、基準を上回った他社から排出権(クレジット)を買い取る制度を実施する予定である。
既に米国では、EVメーカーのテスラが地元カリフォルニア州の自動車CO2排出権収益で利益のほとんどを稼ぎ出している。21年第1四半期の排出権売上高は5億1800万ドル(約573億6850万円)に上る。CO2排出ゼロのEVのみを扱う強みを生かしているのだ。
日本は京都議定書において排出権取引で不当な扱いを受けたとの被害者意識が産業界、特にエネルギー業界に残っている。当時世界トップクラスのエネルギー効率を達成しながら1600億円を超える排出権の購入に追い込まれたことがトラウマとなっている。そのため、環境省が進める排出権取引を含むカーボンプライシングの検討を冷ややかに見てきたが、脱炭素価値の市場化は避けられない。
なぜなら、資本主義経済に脱炭素価値を取り込む変化がカーボンニュートラルの本質であり、共産党政権下にある中国もそれを理解し、対応する段階に至っているからだ。国内市場だけ考えていたら、国際市場で日本企業が多額の脱炭素価値の対価を他国企業に拠出する結果になり得る。脱炭素価値の金額換算を積極的に捉える経済社会に踏み出すタイミングが来ている。
【プロフィル】瀧口信一郎
たきぐち・しんいちろう 京都大学理学部を経て、1993年同大大学院人間環境学研究科修了。テキサス大学MBA(エネルギーファイナンス専攻)。Jリート運用会社、エネルギーファンドなどを経て、2009年日本総合研究所入社。創発戦略センターシニアスペシャリスト。専門はエネルギー政策、エネルギー事業戦略、分散型エネルギーシステム。著書に『中国が席巻する世界エネルギー市場 リスクとチャンス』『ソーラー・デジタル・グリッド』(ともに日刊工業新聞社・共著)、『エナジー・トリプル・トランスフォーメーション』(エネルギーフォーラム・共著)など。1969年生まれ。