ブランドウォッチング

キットカットは「きっと勝つとぉ!」 受験生応援で日本化に大成功

秋月涼佑
秋月涼佑

 マーケティングやブランディングという言葉はいつのまにか、それ自体が絶対善というか絶対正義のニュアンスを帯びてビジネスのフィールドで使われるようになったと感じるのですが、果たしてそういう扱いが妥当なのでしょうか。本連載もブランディング視点を標榜していますのでちょっと自己矛盾的に感じられるかもしれませんが、マーケティングもブランディングもあくまでツール、しかも便宜的なツールだと私は実務の中で年々強く感じるようになりました。例えばラーメン屋さんであれば、味が分かる頑固オヤジが無茶苦茶にこだわって自分の目の届く範囲で数人の弟子と作る一杯、それはそれが一番うまいに決まっています。でもひとたびその味でチェーン展開しようと考えれば、体系的なレシピ、マニュアルやオペレーションがなければその味を安定的に供給・再現することは不可能に違いありません。

 商品開発や販売促進もカリスマ的なリーダーが、あうんの呼吸で暗黙知を共有するスタッフだけと絶妙に切り盛りすれば、本当はそれが一番直線的に成果につながりやすいと感じます。実際にそれで成功している会社もオーナー企業を中心にたくさん存在します。しかし、ひとたびプロダクトを世界展開するとなるとどうでしょうか。大切な商品やブランドを直接会ったことも話したこともない各国のブランドマネージャーたちを通して、生活習慣も国民性も違う国々で上市、展開するとなれば必ず体系的なルールやガイドラインが必要になるはずです。

 マーケティングやブランディングが主にグローバル展開する多国籍コンシューマープロダクト企業を中心に発展してきたのはそんな理由によるものです。そしてその体系や手法であるマーケティングやブランディングはあくまでどんな国でも失敗せず少なくとも80点はとれる活動をしようという体系であって、それ自体が金科玉条ではないに違いないのです。

 グローバルマーケティング企業にとって鬼門の日本市場

 実は歴史的に日本市場は、そんなグローバル企業のマーケティング手法の限界が露呈しやすい鬼門のような市場なのです。世界のどの国でも通用している精密に設定されたマーケティングミックスがなぜか日本市場だけ受け入れられない。日本に進出した外資系グローバル企業のマーケティング部門で日本市場や日本人の機微を主張する日本人ブランドマネージャーと、本国から着任したグローバルブランドミックスの執行者である責任者との間で激しいやり取りが展開される情景はかつて風物詩のようなものでした。都合が悪いことにエリートほど頻繁に人事異動してしまうことは日本企業と同様で、このやり取りが延々と繰り返されたものでした。

 なぜ日本市場だけ、世界のどこでも通用しているマーケティングが通用しないかと言えば、やはり日本の生活者の洗練度、繊細さが世界でも突出したレベルであることが理由だとは思います。教育水準が総じて高く、世界一便利な環境であふれるほどのプロダクトやサービスを提供されていることに慣れきっている日本人は、やはり目が肥えたうるさいお客さんという他ありません。

 生粋のグローバルブランドが受験生のお守りに

 そんな人知れず討ち死にしたり、そもそも上市もままならなかったりするグローバルブランドの墓場のような日本市場にあってネスレの「キットカット」はしぶとく定着した代表事例ではないかと思います。かつては結構長きにわたり外人モデルさんなどを使った舶来モノ感を強く訴求するバタ臭いイメージで売っていましたが、コンビニの台頭など市場の競争環境激化とともにそんなグローバルブランドとしての出自をかなぐり捨てて、かなりドメスティックなキャンペーンを張るようになったのです。

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