社会・その他

1964年東京五輪のポール 京都で2度目の五輪見守る

 1964(昭和39)年東京五輪会場で使われた国旗掲揚ポールが遠く離れた京都・東山から、古都の街を見守っている。57年たつ今も現役で活躍しているが、その存在はあまり知られていない。「東洋の魔女」と呼ばれた日本バレーボール女子の金メダル獲得の舞台となった駒沢オリンピック公園総合運動場(東京都)に設置されたものとされるが、なぜ、この地にあるのか。23日に開幕する2度目の東京五輪を前に、経緯を探った。(鈴木文也)

 清水寺や八坂神社界隈の東大路通から急坂を500メートルほど登った先にある幕末・明治維新期の専門博物館「霊山(りょうぜん)歴史館」前にそびえ立つ1本のポール(高さ約10メートル)。幾度となく白いペンキで塗りなおされた表面は、太陽に反射し銀色に輝く。「こうやって60年近く京都の地で生き抜き、日の丸を掲揚し続けている」と、歴史館の学術アドバイザー、木村幸比古(さちひこ)さん(72)は国旗を見上げて語る。

 64年五輪で大会組織委員会の国旗担当職員を務め、現在はNPO法人「世界の国旗・国歌研究協会」理事長の吹浦忠正さん(80)によると、メイン会場の国立競技場のほか選手村、駒沢などにもアルミニウム製のポールが立てられ、参加した94カ国・地域の旗が掲げられた。

 大会後、国立競技場以外のポールは一部を残して希望する団体に寄贈することにしたところ、引き取り希望が殺到。多数のポールが全国各地に配られ、今も残っているものもあるという。

 木村さんによると、東山のポールはもともと2本あった。歴史館の向かいにある京都霊山護国神社では、毎年自衛隊殉職者の慰霊祭が営まれているが、当時境内にあった木製の掲揚ポールが腐食し、国旗掲揚ができなかったという。

 そこで神社にある幕末の志士、坂本龍馬の墓前を訪れた吉田茂元首相に、木村さんの父で当時宮司だった勝茂さんや自衛隊関係者らが相談した。吉田元首相は快く引き受け、五輪が開かれた年の冬に、駒沢にあったとみられる2本が神社と歴史館の敷地内に立てられたという。

 その後、雨天以外は毎日、国旗が掲揚されている。神社にあったポールは劣化により撤去されたが、歴史館のポールは、今でも現役だ。当初は五輪に使われた旨を記した銘板が付いていたが、全国で神社が過激派に狙われていた時代に、あえて外したという。

 木村さんは「当時のオリンピックは戦後日本が復興していく中で行われた。今回は新型コロナウイルスに打ち勝つオリンピックとして成功することをポールに願っている」と話していた。

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