保身に走っていたら、いまでも後悔していたはずだ
私自身、長いビジネス人生の中で降格、左遷、解雇(正確には解任)を経験している。もちろん自分から降格、左遷、解雇を望んだ事は一度もないし、できれば避けたかった。といって降格、左遷、解雇を恐れ、保身や私利を優先し、言うべきこと、やるべきことを抑えた事は一度もない。「これを言えば最悪クビになるかもしれない」と思いながらも、それが仕事にとって、またチームにとって、会社全体にとって役に立つことであるなら、覚悟を決めて主張した。その結果、本当に降格、左遷、解任されたのである。
覚悟していたとはいえ、降格、左遷、解任はショックだった。しかし葉隠の言うように、それを恥と考えたことはない。むしろ保身に走り、もし何も言わないままでいたとしたら、きっといまでも後悔していたはずだ。人間、反省は必要だが後悔は無益である。
覚悟を決めて主張した結果、降格、左遷、解任されたとしても、意外にリカバリーのチャンスは多いし、ときにステップアップのチャンスさえ巡ってくる。これは、私の体験から断言できる。
倒産した会社も「人を魅了する理屈」を持っていた
聞書第二・一〇六 智慧ある人は、実も不実も智慧にて仕組み、理をつけて仕通ると思ふものなり。智慧の害になるところなり。何事も実にてなければ、のうぢなきものなりと。
【現代語訳】 知恵のある人は、誠実なことも不誠実なことも、知恵によって仕組めば理屈は付けられるので、それで何でも通用すると思っているものだ。何事も誠実でなければ意味がない。その知恵が、生かされることもないのだ。
日本では俗に、「理屈と膏薬はどこにでも付く」という。理屈には牽強付会なものもある。いわゆるこじつけだ。こじつけの理屈はへ理屈とも言う。
いまは間違いとわかってはいるが、アメリカの電力供給会社エンロン、投資会社のLTCM、同じくリーマン・ブラザーズ、日本ではジャパンライフにも、大勢の人を魅了する理屈があった。これらはいずれも倒産した会社だが、現存していたとき、彼らの理屈に疑問を投げかけた人がどれだけいただろうか。
こうした会社の経営者は、知恵も知識もある人たちであろう。彼らの巧みなところは、称賛するときも、実態がばれて称賛を撤回するときも知恵が回るところだ。実も不実も知恵によってそれらしく語り、理屈を付けて済ませてしまうのである。なまじ知恵があるだけに、本来不実であることを実であるように理屈を付けてしまう。
「経営学」に教科書はあるが、「経営」に教科書はない
「我が智慧一分の智慧ばかりにて万事をなす故、私となり天道に背き、悪事となるなり。脇より見たる所、きたなく、手よわく、せまく、はたらかざるなり。(後略)」(聞書一・五)と葉隠にある。人の知恵などわずかなものにすぎない。にもかかわらず、それが万事に通用すると思い上がっているから、天の道にも人の道にも背き、悪事となるのだ。傍から見れば、汚く、脆く、視野が狭いので、本物の知恵としての働きなどできない。知恵が存分にはたらくステージは「世のため人のため」という大義のあるときである。
経済学、経営学には教科書がある。しかし経営には原理原則はあるが教科書はない。現場で体験して、汗を流しながら自ら身に付けるしかないのが経営だ。
論理だけでは説明しきれないのは、経営とはピーター・ドラッカーの言うように「人を通じて成果を出すわざ」だからである。人を通じて成果を出すには、人を深く知らなければならない。人間学こそ経営の根本だが、論理では説明できない最たるものが人間学だ。人間そのものが矛盾を含んだ動物だからである。
MBA取得者は人の心に通じていないことが多い
MBA取得者はロジック、学説、分析や統計手法には精通している。知識はある。知識は力の源泉だから、彼らは一定の役には立つし、弁も立つ。しかし人の心には通じていないことが多い。あまりにも多い。人が喜んで働くように働きかけるのがリーダーだから、人の心に通じていないようでは、経営者にはなれない。
MBAの力の源泉は知識だ。知識はスキルであり、昔の言い方では芸である。侍にとって大事な芸といえば、もちろん武芸だ。しかし、葉隠は芸を磨くことに批判的である。肝心な事は芸ではないからである。
葉隠には「芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはるる様に心懸くべき事なり。(後略)」(聞書第一・八八)とある。芸事に秀でても、それでは芸者であって侍ではない。侍の本分は奉公なのだから、奉公の役に立つ程度の芸であればそれで十分だというのだ。何のための芸なのかを考えよというのが葉隠である。
また別の項には「学問はよき事なれども、多分失出来るものなり。(後略)」(聞書第一・七二)ともある。学問だけでは落ち度があるというのだ。
学問をして自分の足らざるところに気づけばよいが、大体の者はそうではなく学問のあることに思い上がり、単なる理屈好きになる。それでは意味がない。
コメントby SERENDIP
経営学などの学問で身につけられる知識は、あくまで「物差し」でしかないのだろう。実際に経営する中で生起する事象や課題に「物差し」を当てても、その現実が物差しの通りに変わるわけではない。物差しによって得られるのは、「足りないところ」「過ぎたところ」を考えるヒントだけ。足りないところを埋めるには、これまでの失敗を含むさまざまな経験や、経営学以外も含む多分野の学問の知識、そしてそれらを統合する思考力が必要になる。学問的知識は、実際の経営に必要だが十分ではないということだ。
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