椎名さんは本を読むのが好きな子だった。名作の類にはいる本は片端から読んでいた。東京の大学では文芸学部の学生だった。
「若い時はひたすら小説を読みました。でも30代半ばころかな、猛烈に仕事が忙しくなった時期はビジネス書ばかりになります。それが、また、この数年はフィクションに戻ってきました」と椎名さんは読書遍歴を語る。
大学時代からインテリアデザインに関心のあった彼女は、卒業後、デザインスクールでデザインを学ぶ。そしてイタリアに飛んできた。学生のとき、イタリアを旅して気に入っていたのが動機の一つ。しかし、何よりも家具デザインといえば、当時、ミラノがヨーロッパのなかでも群を抜いていた。
早速、中部ウンブリア州にある街、ペルージャでイタリア語を学んだ(余談だが、その頃、彼女はぼくのトリノ時代のボスにも会っていたのを、数年前に知った)。
こうしてデザインのスキルとイタリア語を携えて職探しをはじめたのだが、その合間を縫ってはイタリア中を旅する。
職はミラノの有名な建築デザインスタジオに見つける。ここで多くのことを学んだが、成果の一つに船舶免許取得まである! 伴侶となったボスというか同僚というか(あえて曖昧な書き方をするのは、ヒエラルキーな組織との印象を避けたいからだ)、その彼とアドリア海を頻繁にクルーズするためだ。1963年の木製の古い舟を改修した味があるヨットだ。
その後、彼女は離婚を経て、新しいパートナー、リカルドと一緒になる。すると、今度は海よりも山に足しげく通うようになる。
「リカルドと知り合う前、山に登るなんてありえませんでした」と笑う。