茶農家、茶商、茶業技師が一枚岩で全国展開に挑む愛着と誇りの知覧茶

<後編>老若男女が好む全世代万能型

離れて気づく強い個性

 知覧茶に関わる仲間で、キャッチコピーを考えていた川口塔子さん(29歳・南九州市在住コミュニケーションプロデューサー)は、2年前のある日をこう述懐する。

 「知覧茶の魅力を短い言葉でわかりやすくどう伝えたらいいか、みんなでうんうん悩んでいたのです。で、いろいろ考えるのに “ま、いいから飲め!”にいきついてしまう(笑)。理屈はともかく飲んだらだれでも好きになるから。だって私がそうでしたから」

鹿児島には「茶いっぺ」というコミュニケーションの文化があります。「お茶一杯飲んで、心を落ち着けて」という意味です。

 川口さんはかつて、東京でベンチャー企業に勤め、毎晩クタクタで帰宅する日々が続いた。故郷の鹿児島市から急須を持参していたが、社会人になってから茶を煎れる暇がなかった。24歳で、鹿児島県への移住を促進するNPO団体に転職。東京に住みながら、鹿児島の魅力を改めて見つめ直そうと、何気なく知覧茶を飲んだ。

 「ああ、私お茶が大好きだったんだって思い出しました。母が朝晩煎れるお茶がおいしくて、子どもの頃から好きだったなあって。ほ〜っとリラックスする。お茶は鹿児島を象徴する文化的な特産品だと気付きました」

 しばらくして彼女は、知覧茶の産地に移住するのだが、同じ言葉を、全く世代も出身も違う男性から私は聞いたのだった。

 ──後藤正義さん、76歳。南九州市茶業振興会会長で、知覧茶を代表する茶農家である。

コクがあってパンチが強い。
だからまた飲みたくなる

後藤さんはまるで昨日あった事柄のように知覧茶にかけた情熱の日々を語ってくれた。

 南九州市の中でも山深い地区の茶農家に生まれ育った。高校卒業後は東京で働き、まさか自分が家業を継ぐとは思ってもいなかった。しかし、父の病気で2年後に帰郷。27歳で知覧銘茶研究会を作った。栽培や製造技術を研究し、一番茶の最盛期に自分の工場の操業を休んで、静岡まで通い、茶作りの名手を訪ねて回った。

 「技術は尊いもの。敬いながら、こちらも命がけのような覚悟でお聞きしました」と述懐する。

 仲間たちと試行錯誤を繰り返し、20年後に念願の茶品評会の最高賞である農林水産大臣賞を受賞した。日本一の称号を得るには金も手間もかかる。それでもがんばれた根底には「悔しさ」があった。

 「こんなにおいしいのに、他県の茶商が買っていき、別の地のラベルで売られるのが悔しかった。茶は信頼関係で取引されます。味に自信はあったけれど、全国1位という称号がどうしても信用のために必要だったのです」

 以来、日本一を3度受賞している。彼が言う。

 「茶作りは金欲しさではできない。だったらもっと楽な仕事がたくさんあります。知覧茶は“ゆたかみどり”をはじめ、コクが強い。お茶そのものの力、そう、パンチがあるんです。自分は一度上京してよその茶を飲んで、それがわかった。57年間挑戦し続けてこられたのは、このパンチのあるお茶が好きだから。飲んだらわかる。だれもが好きになります。私がそうでしたから」

 産地国内最大、生産量日本一。個性的な若手茶農家。品質の探求を惜しまなかったベテラン農家。知覧茶には様々な長所がある。

 だが、最大の魅力は、味だ。

 20近い品種がある。ぜひ自分に合う一杯を見つけてほしい。知覧茶がもたらす多様な味わいに驚くはずだ。

人生を変える一杯に知覧茶を

 最後に、肝心なお茶の煎れ方のコツを。

 茶葉は急須の底に薄く敷き詰められるくらい。お湯を湯のみに注ぎ、両手で湯のみを包んで触れるくらいまで温度が下がるのを待ち、急須に注いで、約1分してから湯のみに注ぐ。旨味のある最後の1滴まで絞り切ること。

 難しいコツはいらない。とりあえずこれで、ひと息つく時間を作るところから始めてほしい。そのお供に、知覧茶はきっと頼もしい助っ人になる。たくさんの人生を変えてきた誇り高き茶が、あなたの毎日も、小さく変えるかもしれない。

(情報提供:鹿児島県南九州市・茶業課)

写真:おおだいらかずえ
おおだいらかずえ作家、エッセイスト
長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所」(平凡社)『届かなかった手紙』(角川書店)、『紙さまの話』『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか多数。連載に『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w)『そこに定食屋があるかぎり。』(cakes)など。HP「暮らしの柄」(https://kurashi-no-gara.com)