スタートアップ企業憧れの存在といわれる企業がある。生体認証を活用した支払い決済やホテルのチェックイン、銀行・証券会社の口座開設など、日常の様々な場面における本人認証サービスを提供するELEMENTS(エレメンツ、旧社名:Liquid、東京都千代田区大手町、代表取締役社長:久田康弘氏)だ。同社の生体認証サービスは既に普及・拡大期にあるが、同社は「IoT」(Internet of Things)のその先、ヒトが世界と直接つながる「IoP」(Internet of Persons)の社会を標榜。新たな挑戦を続ける。
カメラのセンシング技術に着目
ELEMENTSの創業は2013年。社長の久田氏が、慶應大学卒業後に勤めた投資銀行で20件程度の株式公開を手がけたのち、いくつかのウェブアプリの開発・売却で資金を蓄え、26歳で起業した。「学生時代も投資銀行時代も、常に近くに起業家がおり、起業するのが当たり前のような環境にいた。投資銀行時代もベンチャー企業の担当。類似体験を重ねるうちに次第に起業にめり込んでいった」と久田氏は振り返る。
「生体認証」に着目したのは、キーボートがついていないデバイス(通信端末)を見たのがきっかけ。当時、携帯電話といえば“ガラケー”で、小さな画面と文字を打ち込むための小さなキーボートが付いているようなときだった。「衝撃だった。そのデバイスは、キーボードが付いていなくて代わりに大きなカメラがついていた。なるほど、これからは人が手で入力するのではなく、カメラが代わりになるのかと」(久田氏)。カメラの性能は、今後、間違いなく向上していく。そうなれば、人々が携帯電話のキーボードに文字を打ち込んで情報を入力するのではなく、カメラを通じてさまざまな情報が取得・入力されていくことになると久田氏は確信した。
カメラでセンシングできれば便利になると思ったのが「人間」に関する情報。例えば、服を買う際、お店に行って試着をすればサイズを正確に把握していなくてもいいが、インターネットで服を買うにはサイズを選ばないといけない。また、店頭では本人が顔写真の付いた身分証を持っていけば本人と確認されるが、ウェブではそれができない。究極は「顔パス」。フェイストゥフェイスの現実の世界では、見知った間柄において顔だけで「本人」と認証されるのに、ウェブの世界では毎回ID・パスを入力し、場合によっては本人確認書類を郵送したりしなければいけなくなる。「現実の世界ではできるのに、ウェブの世界ではできないことが多かった。ウェブと現実社会が融合していくなかで、現実の世界でできることをウェブでもできるようにする、人間に関する情報、生体認証を使って不都合を解決していこうと考えた」(久田氏)。
家に入るとき、金庫をあけるとき、銀行から預金を引き出すとき、インターネット上で支払いをするときなど、生活の様々なシーンで、鍵やパスワード、カード、PINコードなどを用いた本人認証が必要となる。それを、生体情報を活用して、「本人が本人であること」を証明できれば、鍵やパスワードは不要となる。つまり、スマートフォンなどの端末を通じてインターネットとつながる「IoT」(Internet of things)のその先、ヒトがインターネットと直接つながる「IoP」(Internet of Persons)の実現である。
スマホで翌日には口座開設
同社の生体認証システムはすでに高い評価を得ている。IoT推進コンソーシアム(経済産業省・総務省)の「IoT Lab Selection 第1回先進的IoTプロジェクト選考会議」のグランプリに採択されたほか、独立行政法人中小企業基盤整備機構主催の「Japan Venture Awards 2018」においてもJVA審査委員長賞を受賞した。さまざまな企業・場面において導入が進んでおり、指紋認証を使ったオフィスの入退出セキュリティやカフェやレストランでの支払い決済などは、すでに定着したサービスとなっている。また、これまで本人確認書類の返送など、手続きに時間がかかったオンラインでの証券会社の口座開設も、手元にスマートフォンとマイナンバーカード・運転免許証があれば、同社の技術を使ってオンラインのみで手続きが完結、最短で翌日には取引ができるようにもなった。直近では、ユーザーが企業ごとに行う必要のあった金融機関の口座振り込みや住所変更、行政手続きなどを、スマートフォンからワンストップでできる共通手続きプラットフォーム「AIRPOST」(運営:トッパン・フォームズ)の本人確認にも同社の技術が採用されている。
服・オフィス・住宅・食品もカスタマイズ
2020年3月、事業成長と領域拡大に伴い、社名を「Liquid」から「ELEMENTS」に変更した。久田氏は、「これまでは、本人確認など現実の世界でできることをウェブの世界でも当たり前にできるようにとサービスを開発・提供してきたが、これからはデジタルの世界でできることを現実世界でもできるようにして、より社会を便利にサステナブルにするフェーズ」と見据える。
具体的にはどのようなことか。ウェブやメディアの世界では、ユーザーの検索・購買履歴などをもとに興味・関心がありそうな情報を知らせる「レコメンデーション」機能や、知りたいトピック・情報を整理してまとめる「キュレーション」機能など、“自分に合わせた”情報が集約されていくことが当たり前になってきているが、この“自分に合わせた”状態を、ウェブの世界だけでなく、現実の社会におけるプロダクトやサービスで実現していくことだ。
例えば、カメラやIoTセンサーで取得した3次元ボディデータを活用して、一人ひとりの好みや体型に合ったカスタマイズされた服がユーザーの手に届くようにする。そうすれば、現在、社会問題にもなっているアパレル業界が抱える課題の1つである「在庫の大量廃棄問題」の解消にもつながる。アパレル在庫の大量廃棄は、コストを下げるために大量生産されたファストファッションの余剰在庫やブランドメーカーの商品価値の保全のため再販や転売抑制など、需給の不一致によるものだが、もし、同社の技術やサービスで衣服の「マス・カスタマイゼーション」が可能になれば、需給の不一致による廃棄問題が解消するばかりか、ユーザーは各々によりフィットした快適な衣服を手にできる。
「おそらく近い将来、衣服だけでなく、一人ひとりに合った空調・照明・環境のオフィスや住宅、また、アレルギーや嗜好に合わせた食などが提供されていくことになる。マス・プロダクトから一人ひとりに合ったマス・カスタマイゼーションとなれば、廃棄問題や資源の無駄遣いがなくなって持続可能性も高まる」(久田氏)。
生活に不可欠な情報のプラットフォーマーに
久田氏の描く、企業としての将来像は、「社会に必要な情報のプラットフォーマー」だ。「こうなったら便利だろう」と、あくまでもユーザー目線で未来のライフスタイルを思い描きながら、生体情報や生体行動に関する画像解析やビックデータを用い、衣・食・職・住や金融に関するサービスやプロダクトをクラウド上で各事業者に提供していく。SaaS(Software as a Service)にも近い。
基本的にはBtoBのビジネスを志向するが、企業が投資しにくい未発達の領域には、市場づくりのために自ら先行投資してBtoCも手掛けていく方針だ。例えば「食」の領域。レジレス型食料品店舗「FANTRY」がその1つだ。購買客が冷蔵庫(店舗)から商品を取り、購買客自身がスマホアプリで商品のバーコードを読み取って決済できるようにしたもの。目的は、従来、ヒトが担っていたレジの役割を購買客本人が行うことで、店舗を省人化すること、また、購買履歴のデータを活用して最適な商品の仕入れを行うことで、購買客の嗜好にあった商品を揃えて食品ロスを削減することにある。「食のEC化率は2%と低く、そうした市場に対して企業はなかなか投資に踏み切れない。しかし、企業に求められてから準備していたのでは遅い。マーケットトレンドが変わったとき、すぐサービスを提供できるよう自ら投資した」(久田氏)。
そんな久田氏がいま、関心を持っているテーマは「経済のローカル性」だ。「中央集権的な市場や都市のなかで資本主義が発展してきたことは事実。また、今の生活は、パソコンの前に座ってお金を稼いで、カットされた食べ物を食べて、あらゆる場面で専業・分業が進み、便利にもなったが、社会生活が“分断”され、一連の営みからかけ離れて本質がわかりにくくなっている気がする。自分のビジネスがどこまで貢献できるかわからないが、人類にローカル性を取り戻すようなことが何かできないか。ペイフォワードの精神で考えていきたい」(久田氏)。また、新しい未来が始まっている。
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