【ビジネスパーソン大航海時代】新規事業サポーターで輝く ソフトバンクOBのキャリアアップ~航海(4)
【ビジネスパーソン大航海時代】前回までは筆者の事例でした。ここからは様々な航海を見ていきたいと思います。今回は、大企業を経て現在では「新規事業サポーター」として独立された大野泰敬さん(40歳)についてお話させてください。
大企業への新規事業サポーターとは?
オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会IT戦略アドバイザー、そしてニチレイ、リコー、ロート製薬、ほかにも大手通信会社・自動車会社など一部上場企業のサポートをしているビジネスパーソン。それが今回ご紹介する大野さんです。大学卒業後はソフトバンクに就職し、その後ゲーム会社、人材会社で経験を積んで、いまのお仕事にたどり着いたそうです。
まぶしくてピカピカ。
しかし、新規事業サポーターという職業は少々聞きなれません。もう少しうかがってみました。
「私のコアスキルは“新規事業責任者として経営陣を巻き込む力”。私は大企業時代に多数の新規事業を作ってきましたが、すべて当たったわけではありません。しかし、自分が100%成功したことがあります。それは、経営層を説得し、予算を獲得し、事業をスタートさせるということ。この資料作成やロジカルに戦略を考えることができる人が少ないということに気がつき、それをビジネスにすることにしました。」
なるほど、市場戦略に加えて、大企業特有の社内を通すことまでもサポートしているというのが大野さんの特徴としてあげられそうです。
ここにたどり着くまでの道のりをうかがってみました。
大学生時代に立てた目標「将来、大学で教えたい」
大野さんは大学時代まで薄っぺらい人生だったと謙遜されます。転機になったのはある教授の授業だったそう。
「堀出一郎先生の授業が自分を変えました。元サントリー取締役・TBSブリタニカ社長を経て教授になった方です。評論家ではなく、実業家として血が通った授業をしてくださって、感銘を受けました。当時の私のような人間が感化される体験を通じて、自分の目標は、将来大学で教鞭を執ることになりました。そのために、まず20代は誰でも知っている仕事を手掛けるのが良いだろうと考えました」
そこで入社したのがソフトバンクだったそうです。
「インターネットが世の中を変えていくと感じていました。そこでインフラであるADSL事業を手掛ける会社にいて結果を出せばやがて最先端の仕事に繋がると思いました。最初の仕事は回線の飛び込み営業。本部が作るチラシは効果が低いと感じたので自分でチラシから作成・ポスティングで成果を挙げました。これが目についたのでしょう。企画部門に異動になります。その後サイバー大学立上げやロボットなど先端の仕事に移っていきました」
そして大野さんのソフトバンクでの集大成がiPhoneの日本展開でした。
「2008年。日本でiPhone事業に携わっていたのがまだ数名。そのうちの1人として、当時社内でも売れると思っていなかったiPhoneの日本のマーケティング、営業戦略を担当することになりました。」
ここで悪戦苦闘することなります。
「当時iPhoneが売れない理由は明確でした。今では信じられないでしょうが英語のアプリしかなかったんです。日本でですよ。せっかくハードがよくても不十分です。ガラケーで目が肥えた日本のユーザには浸透しません。ミッションは日本語のアプリが出る世界を作ることでした」
「しかし予算が全然なかったのです。その前提で国内の主要プレイヤーの方々に協力いただくためには、総合代理店がやるべきようなイベントを自分で設計して開催したり、雑誌・新聞・テレビなどで取り上げられる仕掛けを作るようなこと、そしてエンジニア向け勉強会を開催するなど地道な作業の連続でした。そのかいもあって大手ゲーム会社さんのヒットタイトルの日本語版リリースがなされ、他社も追随。軌道に乗り、ついには東京ゲームショウで講演させていただくようにもなりました」
そしてその後iPhoneの日本の展開がどうなったのかは言うまでもありません。
2011.3.11、困っている人を助けるために独立
誰でもわかる事例を20代で実現した大野さんがソフトバンクを辞めるきっかけになったのは東日本大震災だったそうです。
「テレビで状況を見て居ても立っても居られず復興支援に行きました。そこには今困っている方々がいるのです。ソフトバンクを辞め、復興支援に集中するために独立までしました。自信はありましたから応援してくれる人もいるだろうと思っていました。しかし、そうはなりませんでした。ソフトバンク時代にはいつでも協力するよとおっしゃっていた方は話も聞いてくれません。大企業の看板の力で働いていたことを痛感しました。そして、出資話で騙されたこともあり預金は5000円まで減ったこともありました。今は笑い話にできますが。社会貢献だけでは食べていけないと思いました」
そして大野さんはこう続けました。
「自分がすごく苦しかった過去の経験からくるノウハウを活用し、困ってる人をサポートしたり、助ける活動をし始めました。これが今の自分の仕事に繋がることになります。例えば、復興支援を通じて知り合った議員や内閣府などにアドバイスをしているうちに、安倍晋三首相のご自宅でイベント開催することになり、そこから様々な社長や自治体の方とお話する機会がありました。しかしお金の話はせず、自分の能力が生かせるのであればと相談に乗っていました。そのような活動が評価されたのか、大企業から農水省に出向している方が、出向先に戻るタイミングでその企業のプロジェクトをサポートすることになりました」
「また、あるNPO法人のセミナーで登壇した時のこと。主催者の方が困る事態が発生しました。そこで直接は関係のない自分が機転を利かして、その事態の収拾に対応しました。それを見ていた方から後日連絡が来て、新規事業支援の案件依頼につながったこともあります。」
「私の会社はホームページすらありません。このようなきっかけと、リピート・紹介によって事業が拡大しています」
思わずうなりました。自分以外の方に困難が発生した時に火中の栗を拾うことで今の輝かしいキャリアになっていると。しかし狙って出来ることではありませんし、そもそも狙っては逆効果でもあるでしょう。
目標こそがキャリアを切り開く
私は大野さんに聞きました。なぜ自分の大企業での華々しいキャリアを捨てたり、当事者でないときに体を張ることができるのか。
「やはり恩師の堀出さんの影響です。大企業で事業を手掛けたのちに、儲からなくても自分の経験を学生に伝えていくこと。この気概に惚れています。私は常にそういう人になりたい。そしていつか大学で教鞭を執るのです」
私は熱い想いに包まれました。せっかくの機会、もう一歩踏み込んでみます。
そこまで強い思いを持っていない場合はどうしたら良いのか。
「目標を持つことです。困難にぶち当たった時やモチベーション維持の糧となるからです。でも、急に目標を探すのは難しいかもしれません。そういう場合はまず憧れの人を見つけることです。私のように、その人になるためにはどうすればいいのか。という目標につながります。そしてそれが見つかったあとは、自分が将来やりたいことを人に話しつづけましょう。応援してくれる人が出てくるものですよ。私の例を見てみてください。『思考は現実化』すると言うことを実感しています。」
お話を聞いていると何をやるか(What?)というキャリア形成ではなく、生き方(Why?)が大野さんのキャリアにつながっていると受け止めました。
「影響を受けたあの人のようになりたい」。そのためには「困っている人の役に立つ」という“背骨”をもって行動した連続が今に結実しています。
他者からはパッと見ただけでは理解が難しい行動=己の美学と向き合いながらキャリアとして突き抜けていく姿は41歳の筆者にとって、じんと感じるものがありました。
読者の皆さんにも私の思いを伝えたく、大野さんのエピソードを紹介させていただきました。
【プロフィール】小原聖誉(おばら・まさしげ)
1977年生まれ。1999年より、スタートアップのキャリアをスタート。その後モバイルコンテンツコンサル会社を経て2013年35歳で起業。のべ400万人以上に利用されるアプリメディアを提供し、16年4月にKDDIグループmedibaにバイアウト。現在はエンジェル投資家として15社に出資し1社上場。
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【ビジネスパーソン大航海時代】は小原聖誉さんが多様な働き方が選択できる「大航海時代」に生きるビジネスパーソンを応援する連載コラムです。次回更新は2月27日の予定。
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