【負けるもんか】失点後も勝負は続く 元プロ野球選手から公認会計士へ、奥村武博さん
失点後も勝負は続く 「もう一度プロに」
いまにも雨が降り出しそうな湿った空気の日は、右肘も肩もうずき始める。手術の痕が残る右腕で、プロ野球の舞台に立ち、公認会計士としての第2のキャリアを切り開いてきた。
阪神の投手から公認会計士へと転身した奥村武博さん(39)は、講演で必ず伝えることがある。
「人生、越えられない壁は一つしかない。無理だ、できない、と考えて自分で作ってしまう壁。それさえ作らなければ、人生を変えていくことができる」
平成25年11月、難関の公認会計士試験を突破した。元プロ野球選手としては初の快挙だ。けが、手術、戦力外通告。そして、現役引退から11年がたっていた。
「難しいでしょ」「もうやめたら」。当初、周囲から寄せられたのは期待ではなく、「無理だ」の言葉だった。ただ、迷いはなかった。「もう一度、プロと呼ばれる場所に行きたい」。その一念で机に向かった。
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少年チームのコーチをしていた父の影響で野球は身近だった。強豪校の岐阜県立土岐商業高校に進学すると、投手としての道を歩むようになる。3年夏の県大会は決勝で敗退。阪神にドラフト6位で指名された。
しかし、入団直後からけがに悩まされる。1年目で右肘を手術し、2年目はリハビリに専念。3年目に肋骨(ろっこつ)を骨折し、4年目は肩を痛めた。肩をかばいながら投げ続けたが、ある日、練習後に呼び出され「来季は契約しません」と告げられた。打撃投手となり、14年に退団した。
バーやホテルで働きながらも「本当にこれでいいのか」という思いが頭をよぎる。15年、阪神が18年ぶりにリーグ優勝を果たす。同期入団の井川慶さんが20勝を挙げ、快進撃を支えた。
先輩や同期の活躍と自らの境遇を比較し、焦燥感ばかりが募っていった。そんな中、帰宅すると資格ガイド本が置いてあった。後に妻となる恋人が買ってきてくれたものだった。税理士、医師、弁護士…。やがて「公認会計士」の文字に目がとまる。受験資格要件がなくなり、高卒でも挑戦できるという。「目指すしかない」。縁のようなものを感じていた。
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公認会計士試験は短答式と論文式の2段階に分かれる。18年に初めて短答式を受験。慣れない勉強に試行錯誤しながら4度目で合格した。高校で簿記を習い、日商簿記検定2級を取得していたことも役立った。
翌年からの2年間は短答式の受験が免除されるが、論文式で不合格が続き、ついに「三振」してしまう。くしくも資格予備校で働きながら勉強していた時期。合格祝賀会では合格者の案内などを担当した。平静を装っていたつもりが、予備校役員が連れ出してくれた食事の席で涙があふれた。
折れかけた心を支えてくれたのも妻だった。「中途半端で逃げ出したら、この先も言い訳し続ける人生になる。あきらめたらあかん!」。25年、短答式と論文式に合格。34歳。一番に妻に報告した。
「試験勉強だけしていたら受からなかったと思う」と奥村さん。最悪の場合を想定して、資格予備校で収入を確保しながら簿記1級にも挑戦した。こうした日々は「1点を失っても次のバッターでアウトを取る野球に似ている」と感じる。
いま、アスリートデュアルキャリア推進機構(ADCPA)の代表理事として、引退後の進路に悩むスポーツ選手らの相談を受けながら、各地で「小さいころから視野を広げる大切さ」を説く。
「誰でも可能性の種を持っていて、どれが花になるか分からない。少しずつ水をあげるように、いろいろなことに興味をもってほしい」
次はこの手で、たくさんの花を咲かせたい。(滝口亜希)
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【プロフィル】奥村武博
おくむら・たけひろ 昭和54年7月17日生まれ、39歳。平成9年、プロ野球阪神に入団。13年に戦力外通告を受ける。29年に公認会計士に登録、ADCPAを設立した。
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