【スポーツ茶論】「2人のカガワ」と平成最後のサッカー代表戦

 
日本代表対ボリビア代表で、賀川浩氏(右)に花束を渡し記念撮影に応じる森保一監督=ノエビアスタジアム神戸(寺口純平撮影)

 3月26日にノエビアスタジアム神戸で行われたサッカー日本代表のボリビア戦では、2人のカガワのことが気になっていた。一人は背番号10をつけ、キャプテンマークを巻いて先発出場した香川真司。もう一人は産経新聞社のOBで94歳の現役最年長サッカーライター、賀川浩さんだ。賀川さんが現場で日本代表の試合を観戦するのは久々。杖(つえ)をついて歩く大先輩をサンケイスポーツ大阪運動部の大沢謙一郎部長がしっかりとエスコートしていた。

 実は2人のカガワには接点がある。香川がJリーグのセレッソ大阪で頭角を現し、日本代表デビューを果たした2008年のこと。賀川さんが申し入れて対談が実現した。年の差は64歳。おじいちゃんが孫に優しく語りかけるかのような対談の模様は、セレッソ大阪の公式携帯サイトにアップされた。

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 対談をまとめた記事には、3人目のカガワも登場する。賀川さんの2歳年上の兄の太郎さんだ。神戸一中(現神戸高)から神戸経済大(現神戸大)を経て田辺製薬サッカー部に入り、1950年代前半に日本代表にも選出された。ワールドカップ(W杯)スイス大会予選や2度のアジア大会に出場。戦後の混迷期に日本サッカー界を支えた功績が認められ、2006年にサッカー殿堂入りしている。

 賀川さんによると、兄の太郎さんは、体つきもプレースタイルも若い頃の香川に似ていたのだという。そういった縁もあり、賀川さんは対談で、司令塔役に徹する傾向のあった香川に積極的にゴールを狙うよう促していた。

 その後の香川の活躍ぶりは、ご存じの通り。10年にドイツ1部リーグのドルトムントに移籍し、12年にはイングランド・プレミアリーグの名門、マンチェスター・ユナイテッドにステップアップ。W杯には14年ブラジル大会と18年ロシア大会の2大会に出場した。

 だが、順風満帆なサッカー人生だったわけではない。初めて背番号10をつけた11年のアジア・カップでは準決勝の韓国戦で右足小指の付け根を骨折。チームの優勝を見ることなく途中離脱を余儀なくされ、帰国して手術を受けた。

 退院早々。松葉杖の香川は産経新聞のインタビューに応じ、背番号10への思いをこう語っていた。「(中村)俊輔さんがずっとつけていたし、日本代表にとっては特別な番号。チャンスメークをするイメージがあると思うが、僕は違う。得点を奪うことだったり、ゴールに向かうことの方が大切」。賀川さんの指摘があったからかどうかは分からないが、香川の中で目指すプレーが変化していた。

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 1974年の西ドイツ(当時)大会からW杯を10度取材した賀川さんは2015年に日本人で初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞。太郎さんに続いて10年に殿堂入りも果たしている。「技術論から人物史までさまざまな角度から世界と日本のサッカーを書き続けてきた」のが高く評価されたからだ。

 生き字引ともいうべき賀川さんは、もう一度対談が実現すれば、30歳の香川にどんな言葉をかけるだろう。

 「物事には必ず『これまで』があり、先人たちが残してきたものがあるからこそ『これから』がある」

 平成最後の代表戦だったボリビア戦で、平成生まれで初めて日本代表に選出された選手である香川のプレーを目で追いながら、賀川さんが著書に記した一文が頭に浮かんだ。日本サッカーの歴史は新時代も続いていく。