天安門事件30年に思う 中国共産党のサバイバル能力
中国の天安門事件(1989年6月)から30年になる。事件直後は、学生や市民の「民主」を求める運動を武力鎮圧した共産党政権に未来はないと思われたが、一党支配体制はなお続いている。共産党のサバイバル能力はなかなかのものである。(元滋賀県立大学教授・荒井利明)
武力鎮圧は不必要だったという私の考えは、事件当時から変わらない。トウ小平にとって、党内闘争の観点からも必要だったのだろうと受け止めている。武力鎮圧に反対した趙紫陽(当時、党総書記)とその支持者たちが党内で主流となるのを防ぐため、武力の行使という既成事実を作ってしまったのだろう。トウ小平らは「暴乱」が起きたから武力が必要になったと説明したが、事実はその逆で、武力が行使されたからこそ「暴乱」が起きたと見るのが妥当である。
対話による解決を主張した趙紫陽は失脚し、自己批判を拒否したため、2005年に亡くなるまで、自宅軟禁状態が続いた。最高権力者から過ちを認めるよう求められたとき、過ちを犯したと思わなくとも自己批判するのが、中国共産党の指導者の身の処し方である。例えば、文化大革命(文革)中、毛沢東に批判されたトウ小平は自己批判し、トウ小平に批判されて1987年に失脚した胡耀邦も自己批判した。
自己批判しなかったのは文革中の林彪(当時、国防相)と趙紫陽ぐらいである。そのため、林彪は毛沢東によって死に追いやられたのである。
自己批判によって毛沢東からの追及を逃れ、「不倒翁(起き上がり小法師)」と呼ばれたのは周恩来である。党内で生き残るために、心にもないことを口にし、文字にもした。
天安門事件後に、心にもないことも言わざるを得ない党幹部としての生き方に見切りをつけ、ビジネス界に転じたのが陳小魯(十大元帥の一人、陳毅の息子。2018年2月に死去)だった。彼の生前のインタビューによると、事件直前、幼なじみの友人に語ったことが、歪曲(わいきょく)されて趙紫陽をおとしめる口実に使われたという苦い体験があったという。
友人が心を許して語ったことさえ、党内で生き残るために「告げ口」するというのは、胡耀邦が失脚した際にも見られた。胡耀邦が数十年来の友人に思わず口にした愚痴が、胡耀邦を批判する場で暴露されたのである。陳小魯はそうした生き方に嫌気がさしたのだろう。
事件見直しの日は必ず訪れる。それは北京で事件の顛末(てんまつ)を取材した者としての確信である。(敬称略)