5時から作家塾

古いが新しい、ヨーロッパを股にかける“令和のサブちゃん”「三五八屋」

ステレンフェルト幸子

 「和食ブーム」で儲けているのは誰?

 ブームの発端となった「ヘルシー」の枠を飛び越えて、その飽くなきこだわりと発想の豊かさで世界を感嘆させたり呆れさせたり、とにかく注目を浴びがちな日本食。たいていの先進国では昨今の和食ブームで一昔前とは別世界のように日本食材が手に入り易くなっているようだ。

 しかしそうした和食ブームを商機に、欧米人を相手に「日本食」のブランド力をまとった安価な自国商品でアジアの他の国や中東の業者が数多くビジネスを成功させているのも事実。筆者のようなビンボー海外生活者にとってもちろんありがたい存在ではあるが、大量生産のナンチャッテ和食材でちょっとズレた和食のイメージを強化するケースがあることも否めない。

 誠実・真心サービスで差をつける日本人経営者

 そんな中、オランダ周辺に生活する日本人にそのきめ細やかなサービスと「かゆい所に手が届く」品揃えで絶大な信頼を得る「三五八屋」という宅配専門の日本食材店がある。

 生で食べられる卵、薄切り肉、無添加の出汁など、「海外で意外と手に入らなくてとても困る」食材を日本人の店主に家まで届けてもらえる安心感は、まさに海外生活における精神安定剤だ。

 経営者は、現在まで12年に渡りドイツで東北県人会会長をつとめる山形県出身の武田三五八氏。オランダを拠点にベルギー、ルクセンブルク、ドイツにも及ぶ数千世帯の日本人家庭を顧客に抱え、食材の輸入・チラシの作成から各顧客宅への配達まで、全て一人で手掛けている。

 また、毎日のように帰宅が深夜を回る日々の合間を縫って、ドイツ・フランス・ベルギー・オランダの4カ国で故郷山形の秋の名物「芋煮会」を主催。ドイツ・ライン川での「欧州一の芋煮会」は、山形市の「日本一の芋煮会」の公認姉妹芋煮会として、海外では最大の規模の芋煮会イベントとなっており、顧客や現地人に日本の味と季節行事の楽しさを広めている。その他にも1月には「新年会」、4月には「お花見」と、顧客との交流の場を設けているのも、「古いが新しい」にこだわる武田氏が昔の日本の商工会のイベントの記憶から再現したものだという。

 激務の武田氏に突撃インタビュー

 武田氏はどのような経緯を経て、ヨーロッパ在住日本人の胃袋と心を支えるビジネスを始めたのか。睡眠時間を削ってまで「自分の手で玄関までお届け」にこだわる理由は何か。貴重な時間を頂いて話を伺った。

 --そもそもどうしてオランダに渡ったのですか?

 オランダに来てもう35年になるのですが、当初は3年の予定だったのです。

 日系の小口航空貨物会社のアムステルダム支店への就職でオランダにやって来て、日本の新聞や企業の書類の海外宅配の仕事をしていました。

 新入社員だった1年目の年末、日本でお世話になった方々にお礼にお歳暮を贈りたいと思ったのですが、そもそもオランダにはお歳暮の習慣もなければ、言葉もわからなかった自分には小包ひとつ発送するのも大変な仕事でした。会社のオランダ人に頼み込んで手伝ってもらう間、これは欧州に住む他の日本人も同じ苦労をしているだろうと思いました。

 そこで在蘭邦人を対象にお歳暮サービスをやりたいと提案したら当時の寛大な社長がgoサインを出してくれて。当時日本では1本4000円くらいしていたボジョレーワインを、船便を利用して1本1500円でお歳暮用に販売しました。

 まだインターネットもなく、FAXすら出始めだった時代だったので、当時まだ1500人くらいしかいなかった在蘭邦人相手に下手くそな手書きのチラシを配ったのですが、ふたを開けてみたら大型コンテナ一杯分の注文が入ったのです。今思えばこれが、現在までずっと続く食品通販の仕事の第一歩で、そこから欧州在住の日本人向けの食品とギフトの通販事業を本格的に始めました。

 --なるほど、それが現在の三五八屋ですね

 いえいえ、とんでもありません。三五八屋は54歳の時に5度目の転職として始めた事業で、今年で創業5年です。初めての食品通販事業はその後独立して、5年後には従業員ごと会社を買い取りたいとのオファーを受けて親会社に転職しましたが、更に5年後にはドイツの日系会社から転職のオファーを受けて、全欧州在住邦人の利用者数1万世帯以上を対象にした通販業務に携わりました。

 --ずっと食材通販エリートだったんですね!

 いえ、その8年後事業所閉鎖に伴いリストラになりました。

 --お、おお

 「リストラ親父」となり、何もすることのない毎日は本当に苦痛で、今後どうやって生きていこうかと人生の落後者の気分で過ごしていました。そんなある日曜日の夕方「サザエさん」を観ていたのですが、その中でサザエさんにお酒や食品を配達に来た「三河屋のサブちゃん」を観て「これだ!」と閃きました。

 これからの小売業は店舗は不要、むしろ玄関まで届ける宅配が、便利で喜ばれるはずとの勘が、それまでの経験から働いたのです。

 また、自分が海外に暮らす日本人だからこそ海外在住日本人の不便・好みが一番理解できるという自負もありましたし、日本語・日本流のサービスとおもてなしの心が求められていることもあたりがつきました。そこで昔ながらの日本の三河屋さんのビジネスモデルを再現しようと思ったのが、「三五八屋」開業のきっかけです。

 アマゾンしかり今や世界的に通販が主流となりつつありますが、三河屋商法はその中でも宅配業者を通さずエリア限定というハンデはありながら、売り手と買い手が直接顔を合わせる人間味と信頼感が、一番の強みと考えています。

 --開業時、最も苦労したことはなんですか?

 苦労というのとは違うかもしれませんが、開業したのが54歳でしたから、絶対に失敗できないという思いが強くありました。それで会社のイメージに関わる社名・ロゴ・電話番号など全てにこだわり、その準備に1年以上かけました。

 例えば屋号の「三五八屋」は、「三河屋」「越後屋」など主人の出身地を付けていた江戸時代の商人にならい、山形県の郷土料理で一夜漬けの王様と呼ばれる「三五八漬」から頂き「三五八屋」に決めました。また開業を機にビジネスネームも「武田三五八」に統一し、生まれ変わったつもりで三五八屋の三五八に成りきって役者のごとく演じてみようと気合を入れました。ロゴのお辞儀福助も日本人の心を表現する縁起のいいものを選びました。

 --今まででビジネス上の最大の失敗はやはり「コンテナ一杯の日本の高級フルーツが、糖分が高すぎたために傷んでいるとみなされて税関を通らず水際廃棄事件」でしょうか

 その話は、長くなるのでまた今度にしましょう(笑)。失敗はたくさんあります。宅配のため配達車「358号」で走り回り始めた頃、スピード違反のチケットがひと月に何枚も来たり、50ユーロ分の食材をお届けするためお客様のお宅の前に車を止めていたら、駐車違反で90ユーロの罰金を科されたり、罰金だけでもいくら払ったことか。

 また失敗というより忘れられない体験ですが、ベルギー配達を始めて間もない頃、配達件数が多く、回りきれない日がありました。遅くなりそうなお客様には連絡を入れてその旨を伝え、日を改めて出直しさせて頂くことも可能ですと申しましたが、全てのお客様が「待っています」と。一番最後のお届けのお客様には、午前0時半頃になりそうですと連絡をしたら「起きて待っていますよ」と言ってくださり、お宅のドアを開けると苦情を言われるどころか「大変ですね!」とコーヒーを淹れて待っていてくださったのです。その日の帰宅は午前4時前だったかと思いますが、あの時の感謝は多分一生忘れないでしょう。

 今でも、宅配に伺った先のお客様に差し入れや感謝のお手紙を頂くことが驚くほどたくさんありますが、これは宅配業者が中に入ったら、また日本人同士でなければとてもありえないことです。江戸時代から続く日本の御用聞き「三河屋」サービスは、心の通う素晴らしい通販だったことを実感しています。日本へ帰国されるお客様が「日本食が恋しい時に支えてもらえて、大きな精神安定剤でした」とメッセージをくださったりする時も、やっていてよかったと感じます。

 やはり自分も同じ海外在住日本人として、お客様の役に立てるという実感が最大のやりがいであり、喜びです。

 --現在、顧客からどんなニーズを感じていますか

 やはり宅配のニーズです。オランダのスーパー各社も宅配サービスを強化していますが、当店をご利用くださるお客様は、ご自身で買い物に行けないからというより、「買い物に費やす時間と足代をもっと有効に使いたい」という理由で通販を選択されるお客様が増えているようです。これは、世界的に定着していく風潮だと考えます。

 意外にも「これからのビジネスモデル」、三五八屋スタイル

 武田氏のお話を聞いていて思い出したのは、近年大型量販店の逆路線で成功例が相次いでいる「町の電気屋さん」だ。昔ながらの顔を合わせ、顧客のニーズに応えることで関係を築いていく「御用聞き」スタイルは、どんなにIT化が進もうがAIが取って代わることはできない。

 また、5度の転職全てにおける経験が50代で形をなしたことや、自分の強みの活かし方、元々やりがいを感じられるフィールドを選んだこと、開拓されたように見える市場で彼にしか見えないニーズを掘り下げたことなど、従来の終身雇用制度が崩壊するこれからの時代を生きていく私たちにも様々なヒントが散りばめられているように感じる。

 温故知新な三五八屋スタイル。今日もヨーロッパのどこかの日本人の玄関に、日本食材と真心という精神安定剤を届けているだろう。(ステレンフェルト幸子/5時から作家塾(R)

 《5時から作家塾(R)》 1999年1月、著者デビュー志願者を支援することを目的に、書籍プロデューサー、ライター、ISEZE_BOOKへの書評寄稿者などから成るグループとして発足。その後、現在の代表である吉田克己の独立・起業に伴い、2002年4月にNPO法人化。現在は、Webサイトのコーナー企画、コンテンツ提供、原稿執筆など、編集ディレクター&ライター集団として活動中。

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