働き方ラボ

痛いこだわり、気づけば閉店 自分探しの終着駅“脱サラ飲食店”はアリか

常見陽平

 美味しくないのになぜか盛り上がる店 それが脱サラ飲食店

 夏休みがやってくる。帰省などで昔の仲間と会うこともあるだろう。GW明けの「5月病」じゃないが、「帰省病」のようなものがある。昔の仲間と会って語らううちに「俺のやりたかったことは、これなんだろうか?」と悩んでしまうのだ。そして、休み明けの会社がいやになってしまう。

 会社をやめて独立した人に妙に刺激を受けてしまうこともあるだろう。よくも悪くも「会社をやめて、好きなことをやろう」と決意する時期でもある。その選択肢の一つが「飲食店を経営しよう」というものである。

 しかし、私は警鐘を乱打したい。「本当に、それでいいのか?」と。覚悟はあるのか、と。自分探しの終着駅、「脱サラ飲食店」について考えてみよう。

 仕事の関係で、会食する機会がよくある。相手は、著者、編集者、講演の依頼主、普通のビジネスパーソンなど様々だ。四半世紀近く飲み続けた酒を昨年末にやめたのだが、飲みの席は嫌いではない。シラフで人間観察するのも楽しいものである。

 私は「どこ」で飲むかよりも、「誰」と飲むかが大事だと考える方だ。とはいえ、場所へのこだわりがないわけではない。たまに、地雷店と遭遇することもある。リスクを回避するために、接待されるわけではないときは、自分で店を選ぶことにしているのだが。

 これだけ会食が多いと、不思議な店に遭遇することがよくある。こんな特徴の店だ。皆さんも一度くらい、行ったことはないだろうか?

  • 特定の企業の現役+OB・OG社員が集まり、まるで社内の会議のように社外秘すれすれの話が飛び交っている店
  • まるでクックパッドで紹介されているレシピのような、こだわりのオリジナル料理が披露される店(でも、あまり美味しくない)
  • あまり美味しくないのに、常連客で繁盛している店
  • やはり、あまり美味しくないのに、店長の故郷の料理などが振る舞われる店
  • やたらと特定企業の社員の写真が飾っている店
  • あまりオシャレではない、店長の痛いこだわりの家具、食器などが並ぶ店
  • 内輪ウケイベントが乱発される店
  • 結局、客が広がらずにいつの間にか潰れてしまう店(でも、常連客以外は潰れたことすら気づかない店)

 このように、店長の過剰な自意識、自己実現欲求、こじらせたこだわりが炸裂しつつも、肝心の味はあまり美味くなく、それでも会社員時代の同僚がやってきてそれなりに賑わう(でも、輪に入りづらい)店はないだろうか? これが脱サラ飲食店なのだ。

 その脱サラ飲食店はいつまで続くのかという問題

 SNSのTLで、たまに盛り上がるのが「脱サラ」した元上司・同僚による飲食店の立ち上げのニュースだ。おしゃれバルやカフェ、ダイニングバー、日本酒が揃った創作和食居酒屋など、ジャンルは様々だ。沢山の「いいね」や祝福コメントがつく。私も「いいね」を押し、「そのうち行きますね」と社交辞令を書き込む。たいていは、行かないのだが。

 ふと気づいた。「脱サラ」は昭和的な言葉で、今どきの20代は知らないのではないか、と。サラリーマンを辞めて何かを始めることを指す。ただ、何かビジネスを始める際は「起業」「独立」という言葉を使うが、特に飲食店やお稽古教室などを始める際には未だに「脱サラ」という言葉が使われている。

 誰かが店を始める度に、応援しようと思いつつも、こう考える。「この店、いつまで続くかな…」。結局、行くことのないまま、潰れていった店を何度も見てきたのだった。

 脱サラ飲食店について考える。なぜ、彼らは無謀なチャレンジを続けるのか、と。

 トップ営業マンは、トップ店長になれるのか?

 「人材輩出企業」と呼ばれるリクルート(当時 現リクルートホールディングス)に約20年前に新卒で入った。実際は「排出」も「脱出」も多数なのだが、経営者を中心に著名人を多数輩出していると世間では捉えられているようだ。

 ただ、いかにも起業家養成塾のようで、300人以上の起業のトップに立った人はごくわずかである。意外に多いのは、個人事務所を立ち上げてコンサルタント業をする者、そして、飲食店を立ち上げる者だ。

 たしかに、人材やメディアに関わる企業での経験や得た力は、飲食店経営に活かせる要素はある。これらの経験や能力は店舗のコンセプトやメニューづくり、各種業者との交渉、人材の採用、顧客の集客などには有効だ。

 社内外の人脈があるので、初期段階での動員には苦労しない。店のタイプによっては過去の上司や取引先から、接待利用ニーズを取り込むこともできる。

 飲食店は顧客がついていることで経営は安定する。だから、会社員時代の人脈は馬鹿にできないのである。

 ただ、飲食店の経営はそもそも楽ではない。構造的に厳しい業界だ。資金的にも技術的にも参入しやすいがゆえに、競合は多い。顧客は店を選び放題だ。物件の家賃は上昇している。物価にも左右される。アルバイトの時給は上がっているし(労働者からすると歓迎することではあるが)、人手不足も深刻だ。競争は激しい上、最近はコンビニなどイートインスペースを設け、飲食店のニーズを狙いにきている。チェーン店が台頭する中、個人で経営する店は棲み分けを意識しなくてはならない。

 なんせ、客商売だ。法人営業などと違い、理屈が通らないこともある。モンスター消費者のリスクだってある。

 とはいえトップ営業マンは、ビジネスセンスもあり、前述したように集客も上手でうまくやりくりはする。しかし、始めたばかりの頃は、必ず苦労する。会社員と、飲食店の現場は、マネジメントの対象もルールも違うからだ。会社員時代ほど優秀な同僚や部下に恵まれるわけでもない。

 「いつかは、カフェでもやりたい」と考える若手社員が散見される。ただ、飲食店経営はもともと決して楽ではないことを理解しておきたい。

 また一つ、お店が消えるという衝撃

 『銀河鉄道999』のエンディングテーマで衝撃を受けたフレーズがある。それは「星が消える」というものだ。飲食店も星の数ほどあり、そして消えていく。

 私の元同僚には、飲食店を立ち上げた人が多数いる。繁盛している店もある。ただ、たたんでしまった人も何人もいる。

 サラリーマン時代の上司や先輩と飲んでいて「そういえば、○○さんの店、最近行きましたか?」と聞くと、一気に会話がシリアスになることがある。「お前、知らんのか?」と。聞けば、とっくに閉店していて、現在はまた営業マンをやっているそうだ。脱サラならぬ、再サラである。

 お店をたたむ理由は様々だ。別に顧客が離れたとか、資金繰りが悪化した、人手不足に苦しんだなど、いかにも起こりそうな問題が原因だとは限らない。単に飽きた、疲れたという人もいる。自分の店を持つという夢を叶えたあと、新たな夢が見つかった人もいる。家庭の事情で、より安定した収入が必要になる場合もである。物件が立ち退きになった際に決断する人もいる。

 もっとも、中には「残念だ」と思う店が散見されることもまた事実だ。サラリーマン時代の同僚が集まり、収入が安定しているのは良いのだが、新たな客が獲得できていない例である。

 「○○社のたまり場」というと、関係者にとっては行きやすいのだが、気をつけなくては閉鎖的な場になる。仲間と会えるという楽しみがある一方で、またあの人たちがいるのか…という重い空気が流れたりもする。

 飲食店に必要なのは顧客の期待に応えることだ。別に「最高」に美味しいものを届けるのが良いとは限らない。とはいえ、飲食店は美味しくあってほしい。お付き合いでお邪魔したが、思ったよりも美味しくないということも一度や二度ではない。

 理想を追求しすぎる店も、気持ちはわかるのだが「大丈夫か?」と思ってしまうことがある。10年前にふらりと入ったラーメン屋はまさに、理想追求型だった。「仕事も家庭もいろいろあったが、子供たちに元気な姿を見せたくて、借金をしてラーメン屋を始めた」「ウチはよい食材しか使っていなくてヘルシー。メタボリック症候群解消ラーメン!」などとおっしゃっていた。

 申し訳ないが、それほど美味しくなかった。ラーメン屋に行くような人は別にヘルシーさを求めていない。メタボリック症候群解消ラーメンというコンセプト自体、怪しい。

 何よりも店を始めた理由が、「あなた、やめときなよ」と言いたくなるような動機だった。嫌な予感しかしない店だった。申し訳ないが、あの店が続いているイメージがまったくわかない。今度、確認に行ってみようかと思う。

 「脱サラ飲食店」は「自分探し」の象徴でもある。会社員でも、経営者でもない、何かになりたいという衝動の塊だ。あるいは、自分の実現したい世界の実現でもある。しかし、理想と現実のギャップに苦しむ。

 そういえば、ある日、ライター数人のイベントで聞いた話が興味深かった。ラーメン屋は経営が苦しくなっても気合と根性で最後の1日まで営業する。しかし、カレー屋は経営が好調でも突然、インドやアジアに旅に出る、と。カレー屋の経営者は自分探し志向なのだろうか? さもありなんという話ではある。

 この「脱サラ飲食店」に限らず、飲食店が傾いていく過程というのは見ていて切なくなることがある。コンセプトもメニューも迷走したり、営業時間が変わったり…。何かこう嫌な予感が漂ってくる。

 友人・知人が脱サラして飲食店を立ち上げたら、とりあえず応援のために一度は行ってみよう。ただ、昔のよしみで経営者を甘やかせてはいけない。むしろ、味、接客などについて厳しくフィードバックしよう。そして、もし友人が飲食店をたたむことがあったら、数年間のチャレンジを褒め称えてあげよう。

 逆にうまく行っている店というのは、徹底的に会社員時代の匂いを消している。客としてお邪魔しても、他の客との関係から特別扱いも、昔話もしない。そのかわり、あとでフォローのメッセージをおくってくれたりする。

 最後に、脱サラしてお店を始めたいと思っているあなたへ。まずは、たくさんのお店をまわってみよう。流行っているお店も、潰れそうなお店もだ。高くて美味しいものではなく、値ごろ感があり満足できる味をベンチマークしよう。まずは売れている店、そうじゃない店を研究するのだ。お店を出すときはそのエリアに何度も通って特徴、とくに人の流れなどを研究しよう。さらには、いま、来てくれる人が何人いそうか、これから何人つかめそうかも考えてみよう。

 自分に関係のない店なら、徹底的に面白がるという手もある。「こだわりの○○」に隠された、こじらせた自意識を面白がろう。やたらと自分の思い出(地元の名物や、学生時代に旅した国の味など)にしがみついていたり、『BRUTUS』や『Pen』に出ているようなオシャレな店を再現しようとするが、安物を並べてすべったり、多くの客とは関係ない自分の思い出の写真を並べたりするなど、メニューや掲示物をみるだけで味わい深い。いや、それが客に好評を博すのならいい。ただ、滑っていると痛いのだ。

 脱サラ飲食店は、自分探しの象徴であり、終着駅である。夢の実現を絶望の始まりにしてはいけない。

常見陽平(つねみ・ようへい) 千葉商科大学国際教養学部専任講師
働き方評論家 いしかわUIターン応援団長
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。専攻は労働社会学。働き方をテーマに執筆、講演に没頭中。主な著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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