【ビジネスパーソン大航海時代】10人でスピード上場の先にあるもの ブレない人生の矜持とは~航海(13)

 
伊藤彰浩さん
伊藤彰浩さん(左)

 今回は、新卒で大手総合商社トーメン(現豊田通商)に入社し、インターネット黎明期を迎えるとベンチャーに転身、そのあとスピンアウト創業した会社で上場を実現した伊藤彰浩さん(株式会社ウィステリア代表取締役)についてお話させてください。

 みなさんは「社長」と聞くとどのような印象をお持ちになるでしょうか?

 社長とは実にさまざまです。一人で経営しても社長、10万人社員がいても社長です。そんな、多様な社長から認められる唯一の社長、それが上場企業の社長といえましょう。なぜなら、日本全国に約400万社あるうち、上場している会社はほんの一握り。わずか0.1%にしか過ぎません。社長1000人に一人だけ。

 今回の伊藤さんはその社長の中でも異例の成功を収めています。上場史上過去最少と考えられる従業員数10名という体制で、しかも創業4年というスピード上場を果たされたのです。

 ここまで聞くと“ミスターパーフェクト”という感じですが、お話を伺うとその印象はガラリと変わりました。

 彼は常識や人に迎合せず、「人生は自分で選択するもの」という意志を持って、もがきながら骨太な生き方をしていたのです。さながらロッカーのように映りました。

 それではインタビューをご覧ください。

 何者でもない20代だからこそ、最も鍛えられた

 伊藤さんは学生時代に先生から生意気な生徒だと思われていたと語ります。

 「課題とか提出物ってありますよね。私は最後の方にある難しい問題だけ回答して、簡単な最初の方の問題は回答しないで提出していました。難しい問題が解けるなら簡単な問題も出来るはずですから」

 確かに理屈はそうかもしれませんが少々乱暴ではないでしょうか。

 「時間がもったいないですから。特に人からやらされるのが性に合わないんです。でもすごく怒られ続けて(笑)」

 それはさぞかし先生もご苦労されたでしょうね。この考えは就職活動においても反映されていたそうです。

 「“就職”という言葉がおかしいと思いました。もっというと私の頃は “就社”でした。ただ、自分は“就事業”があるべき姿だと思っていました。当時日本はバブル経済の真っ只中で、”Japan as No.1”などと海外から評価されていました。しかしそれは製造業のことで、ホワイトカラーの生産性は世界でほぼ最下位であるということを知り、このことが今でも私の問題意識の原点になっています。当時の日本では重厚長大企業の人気が高かったのですが、若い自分からすると枠にはまっているようで魅力に乏しい。だから若くても活躍できそうな新しい産業である通信業界を希望しました」

 通信ならNTTなどの通信会社が良いですよね。なぜ商社を選ばれたのですか?

 「将来自分で事業を興したかったからです。それに私は“商社ではなくトーメンを選んだ”のです。理由は、当時の大手総合商社のなかで唯一、自分が行きたい事業部門を新入社員からプレゼンして認められると配属される“ドラフト制度”があったからです。一生勤めるつもりではなく、ガッツリと仕事で真剣勝負をして3年でやめようと思っていました」

 そして実際に手がけられたのですね。

 「はい。東ヨーロッパや東南アジアの通信インフラ開発プロジェクトに従事しました。未開拓な領域であり、若手でも責任ある重要な仕事を任せてもらえました。現地の通信会社への入札、案件を獲得した後のプロジェクトの履行や現地企業との合弁のマネジメントまで様々なことをやらせてもらいました。ここで現地法人が詐欺事件に巻き込まれる経験もしました。調査を進める中で、詐欺に至る過程、起きてしまった場合の様々な意味での損失の大きさなどもつぶさに体験し、社会人として自分を鍛えることができました。自分のビジネス人生のなかでもっともキツく、もっとも実りを得た期間でした。そのおかげで、予定に反して8年間働くことになりました」

 そしてベンチャーに行かれるわけですね。

 「ええ。(ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長の弟で実業家の)孫泰蔵氏が学生時代に創業したインディゴという会社に行くことにしました。自由闊達で、しかも自分次第というベンチャーの世界が自分に合っていました。ちょうど日本でも高速の通信インフラ環境が整いつつあり、インターネットが本格的に普及する素地が整ってきていました。どうせなら人がやらないことに取り組みたいですし、“たくさんの魚”がいそうな場所がそこでした」

 インディゴをMBO→事業をスピンアウト→創業

 インディゴでは何に取り組まれたのですか?

 「最初はASPサービスのセールスマネージャーをしていました。インターネットに可能性を感じていましたが、仕事としては未知の領域でした。営業でしたがエンジニアとコミュニケーションをとるためには技術の知識が必須だと思い、色々教えてもらいながら結構勉強もしました。そして、経営にもタッチしていきました」

 その後どのようなことが起こるのでしょうか?

 「2003年に、インディゴがMBO(マネジメント・バイアウト=経営陣による自社買収)することになり、私も経営陣として参画しました。そして、事業を大手企業向けのシステム開発に絞りました」

 しばらくしてインディゴの社長になられるのですね。

 「ええ。そしてシステム開発に加えて、自社サービスを私の管掌事業として積極的に推進しました。その中の一つがSMS(ショートメッセージサービス)でした」

 自社サービス立ち上げに向けて苦しかったことはありましたか?

 「当初提供していたサービスは、日本在住の外国人向けの国際SMS配信サービスでした。手堅く収益がでていましたが、SkypeやWhatsAppなどの無料メッセージアプリの出現により、有料でテキストメッセージを送るという事業の根幹が揺らいだため、2010年に国際SMS配信事業をやめる決断をしました。同時に、SMSに対して大きな発想の転換をしました。SMSそのものに本質的な価値があるのではなく、携帯電話番号にその価値があるという発想です。携帯電話を販売する際には、運転免許証等による本人確認が法律で義務付けられているために、本人確認されている携帯電話番号にメッセージを送るSMSは潜在的な価値と需要は大きいと考えた我々は、日本で初めての法人向けSMS配信事業を開始しました。しかし、当時日本はキャリアメールが主流で、SMSはほとんど利用されていなかったため、顧客にSMSそのものを理解してもらうことすら苦労しました」

 何が事業拡大の転機だったのでしょうか?

 「2011年に潮目が一気に変わります。『LINE』がサービスを開始し、そのLINEの本人認証に我々のサービスが採用されました。LINEのユーザーが爆発的に増え、本人認証サービスの認知が一気に進みました。それを契機に、スマホゲーム等での採用が進みました」

 スピンアウトした会社というのはその事業だったのですね。

 「そうです。導入先が増えるにつれ、事業の可能性の大きさが確信に変わりました。そして、このマーケットを大きく伸ばすためには、上場をすることが最善であると考え、SMS事業をスピンアウトし、2014年にアクリートを創業しました。私自身も本気度を示すためにインディゴを辞し、そしてメンバーも付いてきてくれました」

 なるほど。設立当初から上場を見据えていたのですね。

 「そうです。SMSというのは世界標準規格でどの携帯電話にも搭載されていますが、日本での認知度は低い。上場することでその市場の認知度を上げ、トップシェアであるアクリートの事業をさらに拡大させるという目論見でした」

 ああ、だからしっかり収益を出される体制にされていたのですね。

 「はい。ただ、上場時の史上最少の従業員数というのは、事業の成長に最適な選択をした単なる結果です。また、私は働き方の多様性を尊重する観点からも、時間的な制約はあるが能力や経験値が高い方を積極的に活用していました。実際、経験豊富な主婦の方々にパートタイムで柔軟に勤務して頂いて、大きな戦力としていました」

 緻密な戦略だったのですね。

 「上場を目指すと決めた私の責務は、事業と会社組織をしっかり成長させることと、市場が成長するタイミングから逆算して上場準備をしていくことでした。ですから上場した後も事業は成長しています。創業から5期連続の増収増益を達成し、50歳になったタイミングで退任することにしました」

 「やりきれていない。過去を振り返る気などない」

 今までを振り返ってみてどう思われますか。

 「私はまだ振り返る気持ちになっていません。私の人生はまだ半分過ぎただけで、まったくやりきれていない、これからだと思っています」

 失礼しました。

 「振り返りではなく、お伝えしたいことはあります。“他人からみた成功や失敗という評価はどうでもいいんじゃないか“と。自分自身が納得して“自分の人生を生きて”いることが真の成功ではないかと思っています。その視点から私は自分にまだまだ満足していません」

 もう少しそのお話をお聞かせください。

 「私は日本の画一的な教育にずっとアンチなんです。皆が同じことができることが評価の基準となっている。つまり、誰かに与えられた問題を正しいものとして、その問題に疑問を持たずに、ひたすら回答を出すことが求められる教育。大学や就職も周囲の流れに乗せられている。既存の社会構造に従順な人を養成するには最適な教育制度です。右肩上がりの今までの日本であればそれも良かったのでしょうが、グローバル化した世界、少子高齢化や人口減少が進む日本、与えられた問題に回答を出すことはほとんどAIが代替することが決定的なこれからの世の中において、日本はそれをやり続けるのかと。完全にゲームのルールは変わったのです。いまの日本人を見ると不安です」

 「顕在化していない問題を見つけ出し、そしてその問題を試行錯誤しながら解決できる人が必要とされると思います。そのためには、周囲に流されて進むのではなく、自分で考え決断していくことが重要だと思います。それが、せっかく生まれたんだから『自分の人生を生きる』ことにもつながるのではないかと思っています。自分の責任で自分の人生の進め方を決断するトレーニングが足りていない、日本で経営者や起業家が少ないのはそこに原因の一端があるのではないかと感じています」

 最後に質問です。その気持ちを持った伊藤さんはこれから何に取り組まれますか?

 「日本の停滞感を打破したいですね。そのためにまず起業家を支援します。自分の今までの経験を伝えることにより、サポートができると思います。とくに応援したいのは女性起業家です。優秀な女性は多いのに日本では活かされていないと感じるからです。ライフイベントがあって、例えば一度主婦になるとリスタートが難しい国だと思いませんか? 私は、どんな状況でも自身が主導権を持てるように、高校生の娘にも起業を勧めています。ビジネスの規模の大小ではなく、副業でもいいですし、人生の選択肢を常に自分が持っている状態であることが大切なのです。そういう意味で、今後の日本で益々必要とされる人生の複線化のお手伝いをしたいと思っています」

 伊藤さんありがとうございました。

【プロフィール】小原聖誉(おばら・まさしげ)

株式会社StartPoint代表取締役CEO

1977年生まれ。1999年より、スタートアップのキャリアをスタート。その後モバイルコンテンツコンサル会社を経て2013年35歳で起業。のべ400万人以上に利用されるアプリメディアを提供し、16年4月にKDDIグループmedibaにバイアウト。現在はエンジェル投資家として15社に出資し1社上場。
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ビジネスパーソン大航海時代】は小原聖誉さんが多様な働き方が選択できる「大航海時代」に生きるビジネスパーソンを応援する連載コラムです。更新は原則第3水曜日。アーカイブはこちら