【ローカリゼーションマップ】日本のドラマは「言わない」 イノベーションには不向きな美学

 
※画像はイメージです(Getty Images)

日本のテレビドラマを見ていると、その多くは「何か大切なことを言わない」ことがストーリーの軸になっている。

 好意を抱いた人間にその気持ちを伝えない、伝えられない。それで友人たちが先回りしたりしてお節介することで、事態が複雑になる。ここで物語が展開する。

 会社でトラブルがあって退職を余儀なくされたサラリーマンは、家族には何も言わず、毎朝スーツを着て出勤し続ける。だが、ある日、作業服を着てビルの清掃員として働いているところを偶然子どもに見つかってしまう。家庭騒動のスタートだ。

 重い病にかかり余命が限られていても、それを周囲には黙っている。「心配をかけたくないから」とひたすら1人で抱え込む。しかし、突然、本人は倒れて緊急入院。家族や友人が駆けつけ「どうして、黙っていたの?!」と問い詰めるところから、ドラマは新しいステージに移る。

 どれもこれも、主人公が言わない。または主人公の秘密を知った第三者が更に言わない。何もないように日常生活があることが優先され、日常生活を乱すことにはできるだけ蓋をする。

 言わないことによる緊張感があり、その均衡が崩れるところに驚きがあり、隠されていた事実が明るみになったことを踏まえて新しい生き方が提示される。

 人はこんなにも大事なことを言わないで生活しているだろうか、との違和感を抱くぼくは、日本のテレビドラマは結構イライラして見る。

 「じゃあ、見なきゃあいいじゃない」と言われたら、それもそうだが、それはここで問わない。

 それにしても、「言わないこと」は日本の文化の特徴なのか?

 主人公が言わないことを中心に物語の展開を図るのは、何も日本の作品だけではないが、特に日本のテレビドラマで多用される手法になっていることが気になる。

 最近のテレビドラマは漫画を原作としていることが多いから、漫画においてもそうなのだろうか。これはぼくがフォローしていない分野でまったくコメントできない。

 いずれにせよ、テレビドラマをつくる人たちが「視聴者は、こういう展開にしておけば食いつくよ」と思っているらしいことは想像がつく。

 これは暗黙の了解の強さや空気を読む、または他人に余計な心配をさせない、迷惑をかけない。こういう点を重んじる土壌があるからだろう。

 だが、もしかしたら、製作者の思い込みが視聴率の低下を招く一因ではないかと邪推しないわけでもない。そこでぼくは考える。

 あらゆるところでガラス張りであることが善とされることに対して異を唱えているのか、ガラス張りではない世界への懐古なのだろうか、と。

 「やっぱり、黙っていること、隠しておくことに人の美学が出るのだ。あまりに見せすぎるのは不自然だからストレスフルだ」と言いたいのだろうか。さすがに拡大解釈に過ぎるだろうか。

 だが、何を言って、何を言わないか。ある組織を運営する基準としてではなく、一般的な社会生活における参照すべき基準とはあるだろうか。

 そんなのないはずだ。

 ある人は「それでも言って欲しかった。言わないでいた神経が分からない」と思い、ある人は「心が乱れないで良かった。その心遣いが嬉しい」と受け取るものである。

 だから、この人はどういう受け取り方をするタイプなのかについて、観察力と判断力が求められているわけだ。そして、こういってはもともこもないが、コンテクスト次第としか言いようがない。逆に、それだからこそドラマとして成立するわけでもある。

 さて、こうつらつら考えてきて、かつての日本の社会はいざ知らず、今も、「言われない」「言わない」ことを特徴としているがゆえに、スムーズに回っていると理解するのが適当なのだろうか、ともう一度問う。

 いや、スムーズという言葉には語弊がある。どこの社会においても、ぎくしゃくまわっているのが通常であり、小さな組織でもなければ、スムーズと形容するには無理がある。

 少なくても、こうは言えるかもしれない。

 決まりきったことをその通りに進めることを重視する社会では、即ち、イノベーティブなことを生むカオスを歓迎しない土壌では、「言わない」のが美徳と評価される確率は高い。

 というわけで、新しい世界を見たいなら「とにかく、思ったこと、知ったことは言ってみようよ!」という台詞がでる。

 だが、あまりにありきたり過ぎる。陳腐だ。もう少し考えてみよう。結論はいつ出るか分からない 苦笑。

【プロフィール】安西洋之(あんざい・ひろゆき)

モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。