この12月に話題になった言葉といえば「忘年会スルー」である。文字通り、職場の忘年会をスルーしようというものである。「桜を見る会」も「忘年会」もいざ誘われると戸惑うのではないだろうか…。
今どきの職場事情とズレ
気持ちはよく分かる。そもそも、職場の忘年会を参加者全員にとって楽しいものにするのは難易度が高いのである。今どきの職場事情とズレている。12月はそもそも忙しい。その中で、自腹を切り、職場の仲間と飲むのは酷なのである。大人数の料理はどうしても作り置きになることもあり、味は期待できない。さらには、若手を中心に宴会芸を強要されることもあり、その準備も大変だ。もし、2次会や3次会に付き合い、締めのラーメンにまで付き合うとなれば、金銭的にも、体力的にも多大なる負担となる。
職場に勤務する人も多様になっている。正社員だけではないし、プロパーも中途もいる。エンジニアなど、常駐している社外の人もいる。どこまでを忘年会に呼ぶか、会費をどうするかなどを考えるのも悩ましい。
いかにも「忘年会スルー」と聞くと、今どきの若手社員の姿を思い浮かべるかもしれないが、年齢層に関わらず忘年会は必ずしも楽しいものではないのである。幹事はもちろん、ベテラン社員だって辛いのだ。
私自身、20~30代の頃はサラリーマンをしていた。しかも、忘年会に限らず宴会に対して異常に、過剰にパワーをかける企業だった。若手社員の頃は幹事をしたり、宴会芸をしたりするのは辛かった。ただ、この手の立場を離れて参加しても、「ここまでやらなければならないのか」といちいち、心配になってしまった。
サプライズのために、内緒で社員の新居を訪問し勝手に風呂に入ったり、家族と夕飯を食べたりする様子をビデオ撮影するなど、「よくやるな」と呆れ返ってしまった。今ならNGであることは間違いない、脱ぎ芸のようなものもよく見かけた。やはり、今ではお店が止めるし、ハラスメントになってしまうが、一気飲みの強要や、コールもあった。当時、見聞きしたり、やらされた芸を書き出そうと思ったが、不愉快な想いをする人がいるだろうから、やめておく。
上司である人事部長から直々に「宴会の意義」のようなものを教えられたこともある。職場では「宴会の幹事を出来ない奴は、仕事ができない」という言葉が語り継がれていた。たしかに、宴会には仕事のすべてが詰まっている。目標の設定、環境の分析、戦略の立案と実行、チームワーク、リスク管理、コスト管理などである。たしかに、宴会の幹事をすることによって成長した若者はいた。ただ、人を育てるなら他の手段もあるだろう。
経営者や管理職にとっての忘年会
もっとも、経営者や管理職の立場からするならば、忘年会の意味というものはある。今年一年の活躍に感謝したい、組織の団結力を高めたい、ストレスを発散してもらいたい、などである。前述したように職場はモザイク化している上、企業を取り巻く環境も変化しているので、このように組織の一体感を高めたり、活性化するための手段の一つとして宴会は注目されている。
サービス業の現場では職場の非正規雇用比率も高く、彼ら彼女たちの活躍により会社が動いているので、忘年会に限らず年に1度、ホテルの宴会場などを貸し切りにして、すべての関係者を呼んで大接待パーティーをする企業もある。表彰式も開催される。
実はこの手の社内イベントをプロデュースするコンサルティング会社まで存在する。楽しいイベントでありつつ、組織の活性化を目的としている。
このように、従業員を労ったり、組織の一体感を高めるイベントというものには、少なくとも経営者や管理職側は意味を感じているのだろう。ただ、それは忘年会である必要があるのか?
忘年会というもの自体、時代とともに変わらなくてはならないのだろう。忘年会の機能を確認し、それを担う何かを作らなくてはならない。たとえば、わざわざ一人5,000円を集めて、盛大に準備しなくても、会社のフロアでピザや寿司を食べつつ乾杯でも十分ではないか、など大胆に発想を展開するのもアリだろう。令和の忘年会を作るのは、私たちだ。
【働き方ラボ】は働き方評論家の常見陽平さんが「仕事・キャリア」をテーマに、上昇志向のビジネスパーソンが今の時代を生き抜くために必要な知識やテクニックを紹介する連載コラムです。更新は原則隔週木曜日。アーカイブはこちら