久しぶりに訪れた熊本の中心市街地は、休日だったこともあるのだろうが、多くの人でにぎわい、震災の傷跡も癒えつつあるように見えた。ただ、街のシンボルである熊本城を見上げると、修復工事の囲いと巨大なクレーンがそびえたっていて、まだ復興は途上なんだな、ということが分かる。妻が熊本出身であるわが家も、この城の一口城主の認定書を持っているが、途上ながらも以前より修復が進んだ熊本城を見るのは何となくうれしい。
2019年秋、この街に新しい大規模複合施設がオープンした。「サクラマチクマモト」というこの施設は、延べ床面積16万平方メートル超、売場面積は2万8000平方メートル。大型商業施設としてはテナントが149店舗、加えてシネコン、音楽ホールを備え、バスターミナル、ホテル、オフィス、高層マンションも併設されている。地方都市としては屈指の規模となる再開発であり、もともとは「熊本交通センター」というバスターミナルと百貨店のあった場所を、周辺区画と併せて再開発した施設だ。
これだけだと、ただの地方都市の大規模再開発の話で何が面白いの? と思われるだろうが、この再開発は実はちょっと珍しい事例である。地方の大規模再開発の主体は、イオンやJR各社というのがよくあるケースなのだが、この再開発の主体は九州産業交通ホールディングス(HD)という地方のバス会社であり、中心市街地の活性化と地域公共交通の持続可能性の追求を同時に模索する画期的な取り組みなのである。
「クルマ社会化」で衰退する地方都市
地方のバス会社にとって、00年代以降は苦難の時代で、多くが経営破綻、法的整理に追い込まれた。
その主な要因が、住民の移動手段が車というパーソナルな乗り物にシフトしたことによる「公共交通離れ」であることは言うまでもない。交通弱者(運転免許のない中高生や高齢者)を除いたほとんどの人が車で移動するようになって、利便性に劣る公共交通は「乗客が減るから本数を減らす、本数が少ないので不便で利用者が減る……」という負のスパイラルに陥ったからだ。
そして、公共交通(特に市内交通の中心であるバス)の衰退は、地方都市の中心市街地の衰退にも直結していた。中心市街地の「中心」たるゆえんは、住民の移動の中心であることだ。かつて域内公共交通の中心であったバスターミナルが交通の結節点としての存在意義を失うと、その周辺に発展した中心市街地はその多くが同時に衰退せざるを得なかった。地方公共交通と中心市街地のこうした状況を踏まえると、サクラマチクマモトの取り組みは極めて異例であることが分かるはずだ。熊本という地域もクルマ社会化していることは間違いなく、そうした中でバスターミナルでの大型再開発はとてもチャレンジングな取り組みに見える。
「交通のターミナル」以外に必要なものを探せ
再開発の中心となった九州産交HDも、実質的には一度、経営破綻している。03年には産業再生機構に支援を要請し、その後、エイチ・アイ・エス(HIS)の支援を得て、現在はHISのグループ会社となっている。事業を再生した九州産交HDではあるが、公共交通の利用者の低迷という厳しい事業環境自体が改善したわけではなく、抜本的なビジネスモデルの変革を必要としていることには変わりはない。そうした中での“起死回生”の策が、バスターミナルと周辺の中心市街地という場所自体に、来訪してもらうための理由を作り出す、というある意味「正統派」の街づくりプランなのだ。
公共交通が衰退した地方都市の多くは、クルマが主要な移動手段である。そのため、クルマ通りの多い幹線道路の通行量が、中心市街地の人通りよりも多くなってしまう。結果として郊外ロードサイドの大型商業施設に中心市街地の機能が分散してしまっている。中心市街地がその存在意義を保つためには、かつてのような「公共交通の中心」であるだけではもう足を運んではもらえない、という事を認識することが重要だ。
つまり、交通のターミナルということ以外で「住民に来てもらう理由」を別に提供する必要がある。その理由としてサクラマチクマモトが選んだのが「ハレの日の時間消費」である。
公共交通機関を無料にする実証実験も
ただ、大規模とはいえ、1つの施設に住民の動線を変えてしまうほどの力がないことは運営者も十分理解しているだろう。幸いにして、この施設に隣接する熊本中心市街地は、昔ほどではないにせよ、地方都市としては有数の吸引力を保っている。
また、九州新幹線が通っている熊本駅にはJR九州の駅商業施設「アミュプラザ」も開業準備中で、商業店舗面積が3万7000平方メートルの“大箱”が21年春にはオープンするという。過当競争を引き起こすのではといった声もあるようだが、中心市街地全体としては来街の目的が増えるということで、その吸引力はさらに増すことになるだろう。こうした地区間はバスや路面電車で容易に行き来できるため、相乗効果を生み出すことも可能だ。そうなれば、九州産交HDの第1次目的である「熊本中心市街地に人を呼び込む理由作り」は、十分に実現できるだろう。
ただ、九州産交HDのもくろみは、人通りの創出にとどまるものではないようだ。サクラマチクマモトのグランドオープン日である9月14日、熊本県内全域の公共交通は終日無料となった。これはただ無料にしたのではなく、産学官連携の「SAKURA MACHI DATA Project」という実証実験だった。
九州産交HD、ヤフー、トラフィックブレイン、熊本市、熊本大学が連携して、公共交通の無料化が社会にどのような影響を与えるのかを実証するというものだ。九州産交のプレスリリースによれば、「同日に収集するデータは、基準日(実施日と同曜日の前後応当日)と比較し、公共交通利用の促進、中心市街地の『賑わい』創出、県内の移動活発化などの視点で、人流・乗換検索・検索ワード(興味関心)などのデータを用いて、産・官・学のさまざまな視点から分析方法を検証していく計画」とされている。
毎月1000円負担で県内の路線バスが無料に?
その後、発表されている中間報告もその内容が面白い。19年10月31日に発表した報告の趣旨は、公共交通を無料化した影響として、街全体では前週同期比で2.5倍の人出があり、さらには公共交通を利用したことで市街地周辺の交通渋滞が4割減少した、というものだ。
19年11月20日に発表した第2弾報告では、中心市街地での飲食などへの支出総額が増加し、5億円程度の経済効果があった、ということも発表した。公共交通を無料化すれば、総合的な経済効果や渋滞緩和といった大きなメリットがあるということを訴えるという内容となっている。
こうした九州産交の取り組みは、公共交通の無料化という斬新な提案を、実証実験によって効果検証していくという画期的な手法で、世に問うものでもある。この中間報告と同じころ、「熊本県民が世帯あたり月間1000円を負担すれば、県内の路線バスを通年無料化することも計算上は可能である」という一部報道も見かけたが、まさにこうした発想も、地方の公共交通においては選択肢の1つなのかもしれない。
「よそもの」が地方を変えられるか
もともと、公共交通があまり充実していないことが原因で、地方では自動車、特に軽自動車が普及し、1人1台と言っていいほどのクルマ社会が形成されている。自動車があれば生活には困らないため、公共交通の存在感が大きい大都市圏とは異なり、住宅地の場所も公共交通に沿って立地しているわけでもない。地方都市は、クルマ社会になったことで、公共交通の周辺に密集して住んでいる大都市とは全く違う、希薄に広く拡散した住宅地が広がっているのが一般的だ。
一方で、郊外に拡散して住んでいる人たちが高齢化して運転できなくなっていったとき、公共交通網が崩壊してしまっていたら、その移動手段の確保は大きな問題となる。自動運転の普及が、公共交通の崩壊に追い付かなかったら、こうした問題の解決手段はなかなか見つからないかもしれない。そもそも、クルマ社会が便利だといっても、自動車の維持費やガソリン代を考えれば、地方生活者は公共交通と比べて、はるかに高いコスト負担を強いられている。
公共交通も事業として行わざるを得ないため、これまでは受益者負担と公的補助により運営していたが、利用者の減少と人件費高騰等が進む現状では、将来にわたって事業の継続性が担保されている地域は、ほとんどないだろう。それは、これまで「受益者とは、公共交通の利用者である」という認識が当たり前だったからなのだ、と九州産交の実証実験は言いたいのであろう。今回の実証実験が訴えているのは、公共交通の受益者とは、利用者だけではなく、中心市街地の商業者、飲食業者などのさまざまな経済効果の受益可能性がある関係者や交通渋滞緩和の受益者である住民など、「その地域の住民全て」であるということだ。さまざまな技術革新によって、こうした公共交通の真の受益者を検証することも可能になってきた。令和の公共交通の在り方は、データによる効果検証を通して、再定義されるかもしれない。
九州産交HDに話を戻せば、こうした斬新な取り組みを行っているのは恐らく、かつて経営破綻したことが背景にある。HISという、公共交通に関しては「新参者(かつ、地域から見て“よそもの”)」が、経営を主導しているという要因が大きいのであろう。地方創生には「若者、よそもの、馬鹿者」が必要とはよく聞くが、まさにその証明のような事例なのかもしれない。こうした「よそもの」の取り組みを地域社会が受け入れて前に進むかどうか。震災後、復興に向けて一丸となって進んでいる熊本なら、先進事例を作ることができるであろうと期待している。
著者プロフィール
中井彰人(なかい あきひと)
メガバンク調査部門の流通アナリストとして12年、現在は中小企業診断士として独立。地域流通「愛」を貫き、全国各地への出張の日々を経て、モータリゼーションと業態盛衰の関連性に注目した独自の流通理論に到達。