北京五輪では悔し涙も 科学力集結、威信かけ開発される「水着」 終わりなき挑戦の舞台

 

 【TOKYOが変える未来(2)】

 「日本のモノづくりの完敗だった」

 2008年北京五輪を直前に控えた6月の国内大会。男子200メートル平泳ぎで世界新記録を出した北島康介(37)をはじめ、好記録を連発する日本競泳陣の泳ぎを見ていたスポーツ用品メーカー・ミズノ社員の吉井宏見(ひろみ)(54)は、悔し涙を抑えられなかった。

 五輪の約1年前から、吉井は代表選手とともに新作水着の試作を重ね、北島から「完璧だ」というお墨付きの言葉をもらった。4月時点で北島ら代表選手31人中14人が着用を希望。吉井が初めて製品化にこぎつけた自信作だった。

 だが、英スピード社の高速水着「レーザー・レーサー(LR)」の登場が、すべてを覆した。

 無縫製で上半身から足首まで覆う“全身スーツ”型のLR。スポーツ流体力学に詳しい工学院大教授の伊藤慎一郎は「水着に合わせて体を締め付け体の断面積を小さくすることで、水の抵抗を減らす点が画期的だった」と振り返る。

 強力な“武器”を前に日本水泳連盟は方針転換し、北京五輪でのLRの使用を容認。代表の多くが着用し、北島は100メートル平泳ぎで米選手が持つ世界記録を更新するなど2大会連続の2冠を達成した。

 北京五輪の2年後に国際水泳連盟が素材や形状を制限して禁止するまで、LRは世界記録を次々と塗り替えた。実際に試着して泳いだ吉井自身も、前へ進む推進力の違いを肌で感じざるを得なかった。

 「水着は人の体形に合わせるものというわれわれの考え方とは、開発のコンセプトそのものがまるで違った」

 水着開発は、水の抵抗との戦いの歴史ともいえる。

 「水着なんて、高校までフンドシ姿だった」

 日本が初の五輪開催に沸いた1964(昭和39)年東京大会で、男子400メートル自由形に出場した吉無田(よしむた)春男(80)は笑う。

 当時の水着は伸縮性がなく、水の抵抗を受けやすい胸部にワッペンが縫い付けられており、現代の“常識”とは程遠いものだった。

 東京大会で日本競泳陣は銅メダル1個に終わった。男子200メートルバタフライ準決勝で敗退した佐藤好助(77)も、「科学的なアプローチという点で欧米との差は歴然としていた。日本は競技や練習方法、用具などの面で組織的な出直しを迫られた」と述懐する。

 東京大会以来、日本代表に水着を提供してきたミズノは、76年モントリオール大会でポリウレタン製の糸で縦横方向への伸縮を可能にすると、88年ソウル大会では繊維メーカーの東レとともに摩擦抵抗を低減した新素材を開発。水の抵抗力を測定するなど、科学的な分析をもとにした取り組みにも着手してきた。

 今も日本代表の水着開発を担うミズノの吉井は「LRによって、より速く泳ぐ理想の泳ぎ方の方向性が示された」と語る。「水中姿勢が水の抵抗をなくす」という、新たな発想を生み出す契機になったからだ。

 所属選手の寺川綾(35)とともに試行錯誤を続け、水中での姿勢を水平に維持できる水着を開発。寺川は12年ロンドン大会の100メートル背泳ぎで日本新記録を出し銅メダルを獲得し、有用性を証明した。寺川は「水着は一番大事な勝負服であり、体の一部のようなもの。開発チームが一緒に戦ってくれているようで心強かった」と振り返る。

 7カ月後に開幕が迫った20年東京大会に向け、ミズノは1月下旬、新型水着を発売する。理想的な水中姿勢を保つための工夫が生かされ、日本代表選手の多くが着用する予定という。

 「糸1本の違いでも違和感を覚える選手もいるほどトップアスリートの感覚は繊細。今後もそうした声と向き合いながら、大舞台での戦いをサポートしたい」

 吉井にとって今回の五輪もまた、終わりなき挑戦の舞台だ。(敬称略)

 厚底シューズで初の2時間切り

 選手が身に着けるウエアやシューズ、用具だけでなく、トレーニング用機器や設備の技術革新も進み、市場規模は拡大を続ける。

 ナイキが開発した陸上競技用厚底シューズは、航空宇宙産業に使う特殊素材を採用。この試作品を履いた男子マラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が昨年10月、非公認ながら1時間59分40秒で走り、人類初のフルマラソン2時間切りを達成した。今月2、3日に行われた第96回東京箱根間往復大学駅伝でも多くの選手が使用、好記録を連発した。

 日本政策投資銀行によるとスポーツ産業の経済規模は年々拡大し、国は2025(令和7)年に現在の3倍近い15兆円へと成長させる目標を掲げる。メーカーにとっても五輪は、選手を通じてイメージアップを図れる場。開発競争は熾(し)烈(れつ)を極めている。((3)は明日1月15日に掲載します)