五輪を通じて変われば…女性アスリートが直面しやすい3つの課題」

 

 【TOKYOが変える未来(6終)】

 金メダルはとって当たり前。これが終われば、もうバレーをすることはない。

 1964(昭和39)年10月23日。当時25歳だった東京五輪女子バレーボール日本代表のエースアタッカー、井戸川(旧姓・谷田)絹子(80)は、ソ連との決勝戦を前に改めて誓った。

旧国立競技場でのセレモニーで聖火ランナーを務めた井戸川(旧姓・谷田)絹子

 3年前の欧州遠征で22連勝を記録。2年前の世界選手権で優勝し「東洋の魔女」の異名をとった。女性は20代前半には結婚、子供を産むのが当たり前という時代。母国開催の五輪で女子バレーが正式種目となり、決めていた引退は「先延ばし」されていた。

 所属先の日紡貝塚(大阪府貝塚市)では午前中は事務仕事、午後から練習。「鬼の大松」と呼ばれた名将・大松博文の猛練習は、時に翌朝まで及んだ。出社してくる社員に「お疲れさまでした」と、あいさつして帰ったこともある。

 期待に応えて金メダルを獲得すると、予定通り引退し、会社も退職した。周囲の勧めで見合いをしたが、「幸せにする自信がない」「責任がとれない」と相手の男性が断りを入れてきた。「そんな人、こちらからお断り」。興ざめする半面、「女が男より上になってほしくないだけなのか」と失望も感じた。

 その後、知り合った男性と結婚し、ママさんバレーで“現役復帰”。地元チームで監督を務める。「昔はバレーや卓球ぐらいだったが、今は女性もさまざまなスポーツを選べるし、長く(現役を)続けられる」。バレーにささげた青春に悔いはないが、そんな思いもよぎる。

 前回の東京五輪に参加した日本代表選手は355人。内訳は男子294人、女子はわずか61人。「男は働いて家計を支え、女は家事や育児を担う」という時代の空気を反映していた。

 月日は流れ、性別に関係なく男女が同じ物事に取り組む社会になってきた。

 五輪も同様だ。前回東京大会で日本が獲得したメダルは男子27個に対し、女子はバレーの金と体操団体の銅の2個のみ。それが最近の4大会(アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ)では、メダル獲得総数こそ男子(77個)が女子(64個)を上回るが金メダル獲得数では女子(25個)が男子(19個)を上回る。

 結婚、出産後に競技へ復帰するケースも出始めた。女子バレーでも、2012年ロンドン五輪で主将を務め、銅メダルを獲得した荒木絵里香(35)が出産をへて、16年リオデジャネイロ五輪に出場。今も現役を続けている。

 それでもまだ、スポーツ界には男性中心の空気が漂う。

 元マラソン選手で順天堂大教授の鯉川なつえ(47)によると、女性アスリートが直面しやすい「3つの課題」がある。

 まず、スポーツに参加したり続けたりすることが難しい「心理・社会的」な問題だ。幼少期には周囲から「危ない」「けがをする」と言われるなど、男子に比べてスポーツをすること自体へのハードルが高い。また、妊娠、出産後は競技を続けづらくなる。

 次に「身体・生理的」な問題。就学期には初経が来るなどして心身の状態が不安定になる。解決するには周囲の理解と支援が欠かせないが、競技団体の役員や監督などに女性は少ないなど「組織・環境的」な問題が根深く残る。

 「こうした状況が女性とスポーツを取り巻く環境面での遅れにつながっている」と指摘する。

 世界経済フォーラム(WEF)が昨年12月、世界153カ国を対象にした「男女格差報告」を発表した。日本は政治や教育など4分野を総合した男女平等の順位で121位だった。女性首相が一度も誕生しておらず、議員や大臣に占める女性の比率が低いこと、女性経営者や管理職が少ないことが主な理由だった。

 鯉川は期待する。

 「五輪によって女性とスポーツをめぐる社会の仕組みが可視化され、変化のきっかけになってほしい」(敬称略)=おわり

 日本選手団の男女比ほぼ同じ

 男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が本格化するのは前回東京五輪から22年後の1986(昭和61)年。15~64歳の女性の就業率は同年の53.1%から、2016(平成28)年は66%まで伸びている。

 歩調を合わせるように、五輪での女性の存在感も増している。シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)や新体操など女子専門の種目もでき、日本でも女子選手の育成に力が入れられるようになった。1996(平成8)年アトランタ五輪では日本選手団の男女比がほぼ同じ(48.4%)に。その後も同程度で推移している。

 この連載は橋本昌宗、鈴木俊輔、吉国在、植木裕香子、江森梓、大渡美咲が担当しました。