【5時から作家塾】ワークライフバランス世界一位の素?! オランダ語の「気が楽になる」言い回し

 

 オランダ語は「ことわざ天国」

今回は美しくない言葉が多く登場するのでせめて美しいオランダのチューリップを(画像:unsplash)

 新型コロナウイルスのおかげでなんとも気ぜわしい年度初めだったが、皆さんはどのように新年度のスタートを切っただろうか?

 突然だが、私が現在住んでいるオランダという国には、実に色々なことわざや慣用句がある。

 国としての歴史が古く、言語も長く使われているせいか(ちなみに、オランダ国歌は世界最古の国歌である。でも世界最古の国歌の「歌詞」は日本の君が代)、はたまたクリエイティブで歯に衣着せぬ国民性の賜物か。そしてその中には、彼らの実直でお気楽で身も蓋もない国民性が如実に表れているものが多くある。「ワークライフバランス1位(OECD・2019)」の国はこんな価値観の上に成り立っているのか、と感心したり呆れたりすることしきりだ。

 今日はそんなオランダの慣用句や言い回しの中から、これからの新年度生活を楽しく乗り切るために、「日常の中で多用したらちょっと気が楽になりそう」なものをいくつか紹介したい。

 (※お上品でない表現が多く登場します。お食事中の方は食べ終えてからお読みください。)

 「普通にしていなさい、じゅうぶんヘンだから」

 まずオランダ人の人生の大前提。

 「Doe maar gewoon, dan doe je al gek genoeg」。

 筆者の一番のお気に入りのことわざである。訳は「普通にしていなさい、それでもじゅうぶんヘンだから」といったところ。

 実直を旨とするオランダ人は、「特別な存在になどならなくていい、ありのままが一番」と割り切っているのだが、そうして自然体で生きてきた結果、逆にどこか一癖ある個性的な人になった、という感じの人が多い。しかもなぜか「自分はこれでOK!」と、自分のありようを受け入れている。このことわざが人生の基本ならば、アイデンティティ形成も日々の仕事もさぞかしラクだろうと思う。和と協調を尊びつつオリジナリティを求められて苦しい時に思い出したい。

 「快適に一人」

 「lekker(レッカー)」はオランダ語で「おいしい」を意味する言葉だが、そこから派生して「気持ちの良い、快適な」という意味の形容詞や副詞にもなる。

 個人主義で自分の居心地や欲求を大事にするオランダ人は、世間体や強迫観念で誰かとつるむことをあまりしない。一人でリラックスしたい時や、利便性のために身軽に単独行動をしたい時、オランダ人は驚くほどシンプルに、「ちょっと一人になりたいから」と周囲から離れる。「友達のいない奴」「協調性がない」と思われるのでは…なんて考えない。「誰だってそういう時あるでしょ?」なのだ。こういう「快適に一人でいる」状態を「lekker alleen(レッカー・アレイン)」という。

 ・同僚とのランチについて行きそびれて一人飯になってしまった!

 ・親戚のおばちゃんが「まだ結婚しないの?」ときいてきた!

 ・些細な理由で孤立してしまった!

 こんな時はぜひ、「レッカー・アレインで好きなもの食べるか」「レッカー・アレインなんだ!」「レッカー・アレインと言えなくもない」などと活用してほしい。

 「ク〇は起きるものだ」

 「Shit Happens」=「ク〇は起きるものだ=人生に不幸はつきものだ」。

 「まあこんなこともあるさ」というような感じの英語の表現ながら、オランダ人が好んで日常的に使う表現だが、筆者が毎度びっくりさせられるのはそのカバー範囲。「会社が倒産した」「身内が亡くなった」「長年連れ添った妻に暴力を振るわれて離婚した」というようなケースまでこれで片付けてしまっている場面を見たことがある。嘆いても仕方ないこととは言え、あっさり片付けすぎではないだろうか。しかし、これくらいの方が精神衛生上は望ましいのかもしれない。

オランダの名誉のために言っておきたいが、景観も美しい(画像:unsplash)

 「蟻○ァッカー」

 きわどい言葉が続いて申し訳ないが、次なるお気に入りイディオムは「Miereneuker」。

 直訳はズバリ放送禁止用語の入った「蟻(あり)○ァッカー」=蟻と性交渉をする人、である。

 意味は日本語で言うなら「重箱の隅をつつく人」。オランダ人はネチネチと細かいことを気にする人をこう呼んでバッサリ切り捨てる。些細なことを気に病んでいたら人生が無駄に大変になるからだ。もしあなたが不幸にもそのタイプの上司にあたってしまったりしたら、心の中でこう呼んで気分だけでも距離を保とう。

 「今に屁を嗅がせてやる」

 立て続けにお食事中の方はすみません。いわゆる「いつか見返してやる」は、オランダ語で Ik zal hem een poepie laten ruiken =「今に屁を嗅がせてやる」である。

 まあその、「見返してやる!」という気分の時は、「今に目にもの見せてやる!」よりも、「今に屁ぇ嗅がせてやる!」の方が、相手方のダメージが鮮烈にイメージされてワクワクしないだろうか。ダメだろうか。

 「天使が舌に小用を足しているかのよう」

 とはいえ人間、そんなに前向き(?)に頑張る気分になれない時だって多々あるだろう。そんな時はあがいても仕方がない。おいしいものでも食べて、お疲れの心に栄養をあげよう。それがものすごくおいしくて天国が見えてしまったら、Alsof er een engeltje over mijn tong piest!=「まるで天使が舌に(小)をかけているようだ!」と叫ぶのをお忘れなく。

 「ベッドから降りる脚を間違えた」

 それでもそれでも人間だもの、細かい上司を蟻の夜のお相手呼ばわりしようが、今に屁を嗅がせてやると心に決めようが、天使が舌にションベン引っかけに来ようが、どうにもこうにも気分が乗らない時はある。これといった理由も解決策も見当たらないけれど、とにかくイライラと気分がよろしくない。そんな時オランダ人は、Ik heb met het verkeerde been uit bed gestapt =「今日はベッドから降りる脚を間違えたんだ」と言う。そんな日は頑張ってもいいことはない。朝ベッドから降りた時に使った脚のせいにして、早く寝てしまおう。そして明日はもう一方の脚でベッドから降りてみよう。違う脚で始めた一日は、何かが違ってくるかもしれない。

 それではまた次回、オイオイ!(オランダ南部弁で『またね』)。(ステレンフェルト幸子/5時から作家塾(R)

【プロフィール】5時から作家塾(R)

編集ディレクター&ライター集団

1999年1月、著者デビュー志願者を支援することを目的に、書籍プロデューサー、ライター、ISEZE_BOOKへの書評寄稿者などから成るグループとして発足。その後、現在の代表である吉田克己の独立・起業に伴い、2002年4月にNPO法人化。現在は、Webサイトのコーナー企画、コンテンツ提供、原稿執筆など、編集ディレクター&ライター集団として活動中。

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