注目される「災害情報無用論」 浸水被害で問われる避難のあり方
及川康・東洋大教授に目指すべき防災体制について聞いた
東日本大震災から9年。同震災以上の津波被害が懸念される南海トラフ地震が迫るとされるなか、昨年の台風19号(死者104人、行方不明者3人、消防庁)、平成30年の西日本豪雨(死者263人、行方不明者8人、同)と、避難の遅れによる被害が相次いでいる。さらに今月も九州地方で多くの犠牲者を出す豪雨被害が起きた。深刻な被害が続く状況を受け、政府は災害の発生状況に応じ5段階の警戒レベルを設定し、それぞれの段階で、国民に避難を促す「逃げようキャンペーン」を始めようとしている。
一方、東日本大震災以降、改正災害対策基本法、中央防災会議のワーキンググループの報告などを通じて、政府は「住民主体の防災体制への転換」を図っている。こうした矛盾した状況について、全国で住民への避難計画の策定などを指導している防災研究者からは「政府の逃げようキャンペーンは、住民主体の防災体制への転換を阻害する」と批判の声が上がっている。昨年の日本災害情報学会では「住民主体の防災体制の推進には、政府からの災害情報は無用」との発表が注目を浴びた。この、いわば“災害情報無用論”を唱えた防災研究者、及川康・東洋大教授に、真意と今後の目指すべき防災体制について聞いた。(北村理)
空振りが多い避難情報
平成30年7月豪雨(西日本豪雨災害)をきっかけとして、昨年の出水期から「警戒レベル」の運用が始まった。おおまかにいえば、これは【防災気象情報】と【避難情報】と住民の【とるべき行動】の関係を明示的にひも付けてカタログ形式でまとめたものである。これにより、【避難情報】の役割がさらに強く明確になったと見る向きもあるようだが、筆者の見解は正反対である。氾濫エリアの住民にとってもっと重視すべき情報は他にある。
自治体が出す「避難準備・高齢者等避難開始」「避難勧告」「避難指示(緊急)」をまとめて【避難情報】と呼ぶ。私たちは、いざというときにどのような行動をどのタイミングでとるべきかの判断を【避難情報】に委ねがちだ。しかし、実は万能ではない。過信は禁物だ。
もとより【避難情報】には見逃しや空振りが生じることは避けられない。「避難をする/しない」の二択で発せられる情報には、必然的に「あたり/はずれ」を伴う。自治体が、「はずれ」によって生じる被害や混乱を避けたいと考えるのは当然だが、同時に大きな苦悩や葛藤を抱えることになる。近年、住民やメディアから「はずれ」た場合の自治体の社会的責任を問う厳しい批判の声が向けられる事例が後を絶たない。
そこで内閣府は26年、「避難勧告等の判断・伝達マニュアル作成ガイドライン」において、「空振りを恐れずに避難情報を早めに出すべき」だとする基本方針を提示した。
自治体側も、担当者の主観で【避難情報】を出すか否かの判断をするのを避け、気象庁や河川管理者から出される【防災気象情報】の発表タイミングに委ねるようにルールを設けるケースが多くなっている。
つまり、今後は【避難情報】の空振りがより一層、多くなることが確実というわけだ。
令和元年の出水期においても、全国各地で空振りを恐れず早めに【避難情報】が出された。対象者の人数も膨大になった。空振りもあったし見逃しもあった。こうした現状に対し、もしも、住民やメディアが【避難情報】の見逃しや空振りの責任を自治体に向かって執拗(しつよう)に追及し続けるとするならば、それを回避すべく自治体は、今後はより一層、空振りを恐れず、早めに広範囲に避難情報を機械的に自動的に淡々と出し続けることになるだろう。
だとすれば、もはや【避難情報】の目的は、風水害の被害を最小限に食い止めるためではなく、住民やメディアからの責任追及を回避するための単なるアリバイ作りに成り下がってしまうのではないかと危惧する。少なくとも、われわれは、この【避難情報】を、命を守る行動を開始するか否かの判断の唯一のよりどころとして利用したり依存したりするのはふさわしくない。もっと重視すべき情報は他にある。
洪水ハザードマップを有効活用してきたか
【防災気象情報】には、たとえば氾濫危険情報や土砂災害警戒情報などが含まれる。浸水被害の予兆現象、すなわち雨や河川水位の増減を連続的に把握することができる。ただ、これらの情報は、【避難情報】のように行動内容やタイミングを具体的に指南してくれるわけではない。その判断をするのは私たち自身だ。災害時においてわたしたちは、【避難情報】の対象か否かだけで一喜一憂するのはもはや本質的ではない。より生の情報、すなわち【防災気象情報】に目を向けるべきだろう。
元年の出水期、日本各地で甚大な浸水被害が生じた。想定外ではない。広辞苑(第六版)によれば、「河川が運搬した砕屑物(さいせつぶつ)が堆積して河川沿いにできた平野で、高水時に水をかぶる」場所のことを“氾濫原”と呼ぶ。好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちの多くは氾濫原に住んでいる。その事実に、【避難情報】や【防災気象情報】を聞いて初めて気づくのでは遅過ぎる。
たとえば洪水ハザードマップは、最低限の浸水リスクの可能性を事前に自覚するための大きなヒントになり得る。現に、元年の浸水被害の多くは、そこに示される浸水想定区域のなかで起きた。おおむね起こり得るところで起こったと言わざるを得ない。全国各地で「洪水ハザードマップに示されている洪水が起きている」と言っても過言ではない。
しかし、われわれはこれまで、この大きなヒントを最大限に有効活用してきただろうか。洪水ハザードマップについて「知らない/知っている」とか「見ていない/見た」とか「そんな大げさな浸水など起こらない/起こる」というレベルの議論にとどまってしまってはいなかったか。
もうこの期に及んで、氾濫原の住民として、「洪水ハザードマップを知らない・見ていない・起こらない」などのような態度は通用しない。その次のレベルの議論、すなわち「氾濫原の住民としての覚悟」が備わっているかが問われる段階に来ている。
氾濫原の住民としての覚悟
昨年10月の台風19号で浸水した埼玉県川越市の特別養護老人ホーム「川越キングス・ガーデン」は、川越市洪水ハザードマップに示される浸水想定区域の中にある。報道によれば、この施設では、近くを流れる越辺川の決壊による浸水で一時、入所者約100人が取り残された。しかし、結果的に人的被害はゼロであった。最悪の事態を何とか避けて乗り越えることができたのは単なる偶然や幸運だけでは説明がつかない。
約20年前の水害でも浸水した場所なので、その経験を踏まえてあらゆる対策がとられていた。
たとえば、新棟(C棟)はかなりの高さまで盛り土されており、救助のボートが接岸した場所は一見して2階のように見えるのだが、実はかなり高い盛り土の上に位置する1階フロアであった。毎年の避難訓練も欠かしていなかった。普段の夜勤5人体制を当日は19人増員して台風19号に対峙(たいじ)した。
そのおかげもあり、平屋構造の旧棟(A棟、B棟)が水没する前に入居者全員の新棟(C棟)の2階以上への移動(避難)が完了した。もとより、自力避難が困難な人を移動させること自体、かなりの体力を要する作業である。そのような重労働をスタッフ一丸となってやり抜いて、ひとりの犠牲者も出さずにこの困難を乗り越えるには、何の事前準備もないままにそのときを迎え、【避難情報】や【防災気象情報】の入手のみをよりどころとしたその場限りの対応をとるのではおのずと限界があったと言わざるを得ない。そこにはあらかじめ、ある種の「氾濫原の住民としての覚悟」があったように思えてならない。
リスクを自覚し、備えと心構えを
なぜそのような危険な場所にそもそも立地しているのかといった類いの意見もあるだろう。しかしそれは、この施設だけに限った話ではない。そのような土地に立地せざるを得ないさまざまな歴史的経緯も含めて考えなくてはならない全国的な問題だ。多摩川の堤防付近に高密度に存在する住居群などを含めた日本中のあらゆる氾濫原のことも同じく包括的に議論されるべき問題である。
また、孤立する前にもっと早めに避難できなかったのかといった類いの意見もあるだろう。しかし、自力避難が困難で支援を要する人々が避難所まで移動すること自体、大きなリスクである可能性も否定できない。なので、このような人々が可能な限り自分の施設の中の比較的安全な場所にて水が引くまで待機しておくという行動形態は決して非難されるべきものではない。自衛隊や消防や警察などによるボート等での救出は、一般の健常者ではなく、まさにこのような人たちのために集中的に向けられるべきなのではないだろうか。
なお、もっと水位が上昇していたらどうなっていたかは分からないので、あくまで結果論の域を出ないのではないか、といった類いの意見については、確かにそのような側面はあるだろう。しかし、だからといって「覚悟」を持つことが無駄ということには決してならない。そもそも「覚悟」とは、迫りくるリスクをしっかりと自覚した上で、それに備え、心構えを持つという意味と、諦める(観念する、諦観する)という意味の両面を含む概念だ。
最善を尽くして、その結果うまくいくこともあるだろうし、それでもダメで諦めるしかない場合もあるだろう。「氾濫原の住民としての覚悟」を持つということは、最初から諦めて何もしない態度とは本質的に全く異なるものである。
今後、日本に襲来する台風の個数自体は減るものの、ひとつひとつの台風の規模が甚大になるといわれている。洪水ハザードマップのような浸水(あるいはそれ以上の浸水)は今後も起きる。浸水被害をもたらした平成30年の西日本豪雨、そして令和元年の台風が、好むと好まざるとにかかわらず氾濫原に住まわざるを得ないわれわれに対して、いざというときの判断と対応が実効性のあるものでありうるよう、「氾濫原の住民としての覚悟」を持ちなさいと通告してきているような気がしてならない。
おいかわ・やすし 昭和48年、北海道生まれ。群馬大大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。同大講師などを経て、平成24年から東洋大理工学部准教授、昨年4月に同部教授。専門は災害社会工学。災害に対する住民の意識や行動などについて研究している。
日本の防災対策の変遷 昭和34年の伊勢湾台風を契機に施行された災害対策基本法で、防災における行政の責任を明記。平成23年の東日本大震災で多くの行政機関が被災したため、国は同法を改正し行政の「地域防災計画」に加え、住民による「地区防災計画」制度を創設。同制度の特徴を(1)住民の自発性を重視しその意向を強く反映(2)地区別の多様な災害の特性を踏まえる(3)評価や見直しにより継続性を重視する-とした。
30年の西日本豪雨を受け、内閣府「平成30年7月豪雨による水害・土砂災害からの避難に関するワーキンググループ」は昨年末、「温暖化による災害激化により行政主導の対策は限界」と主張。「住民主体の防災体制に転換する」とし、行政の役割を「災害前に住民がつくる避難計画や災害時の避難行動への支援」と明示した。