社会・その他

プライバシーは近代の産物 リアリティー番組に見る「変化と危惧」

 【ニュースを疑え】阪本俊生・南山大教授に聞く

 出演者がSNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けた後に自殺したとみられる問題で、リアリティー番組が注目を集めた。現代は私生活のショー化とプライバシー重視という一見、逆方向の現象が併存する社会だ。南山大学の阪本俊生教授はプライバシーを近代の産物と指摘し、「私生活や内面より情報に重きを置くポスト近代的プライバシーが現れてきた」という。(聞き手 坂本英彰)

阪本俊生教授(岡本義彦撮影)
さかもと・としお 情報化の進展により変容する社会や個人をテーマに研究している=名古屋市昭和区の南山大学(岡本義彦撮影)

 --台本がなく普通の人の現実を見せるリアリティー番組は米国などでも人気。プライバシー研究の観点から、どう見ますか

 「1980年ごろまでは、こんな番組の企画も難しかったのではないでしょうか。プライベートな部分や内面をさらけ出すことへのためらいはいまより強く、出演者が集まらなかったでしょう。昔と今ではプライバシーについての感覚が変化しているのです」

 --現代人の方がプライバシーに敏感だと思うのですが、違うのでしょうか  「現代人が敏感なのは情報漏洩(ろうえい)のプライバシーですね。つまりプライバシーとはかつて人間の内面にあるとされたのですが、情報としてネット上に保管されるようになってきた。インターネット上の買い物や銀行口座取引といった行為で、私たちの情報がどんどんデータベース化されている」

 「プライバシーとは自己が何者であるか、アイデンティティーを作る場であるから重要なのです。ところがいまや情報として外部化され、ネット上の各所で基本的には外部に出ない形で管理されるようになった。そうすると多少の私生活を露出したところで、自分自身が傷つくことは以前ほどない。外見や自己表現に関しては、他人の目を昔ほど気にせず、タフになったわけです。もちろんそれも程度問題で、個人の深いところを突いてくるSNSに対しては、むしろ傷つきやすくなっているといえるかもしれません」

 --プライバシーの感覚が変わってきたのですか

 「そもそもプライバシーとは、近代とともに強く意識されはじめた概念です。伝統的な社会制度が崩れて人が流動的になり、村の共同体や身分がなくなった。仕事も結婚相手も自由に選べる。とすると自分が誰であるのかを白紙から作る作業が必要になります。家と家の間に個人がはめこまれていた結婚が消えると、何カ月もつきあって信用させるパフォーマンスが必要になった。家柄や身分といった保証はない。個人をよく見せるパフォーマンスが必要になったのです。教育の中身より大学名を重んじる学歴社会はその産物といえます」

 情報が人物を規定する

 「アイデンティティーゲームという言葉があります。社会という舞台で誰もが演技を行い、自分をよりよく見せようと競争しはじめたのが近代です。プライバシーとは自分の役柄を作るための舞台裏だといえるでしょう。舞台裏とは私生活であり、内面ということ。そこが暴露されて否定されてしまうと、表の顔を作ることができなくなってしまう。社会的な死をも意味する可能性があるのです」

 --それが近代のプライバシーですね。ポスト近代に向けていまは、さらに変化が起きているのですか

 「たとえばクレジットカードを考えてください。カードさえあれば、自分のことを全く知るひとがいない海外の店でもモノを買うことができる。なぜクレジットカードが信頼されるのかというと、カードに付随する個人情報が管理されているからです。情報によって個人の信用をカード会社が保証している。どういう人物であるかを、データベース上の情報が規定するようになっているのです」

 「米国の社会学者がプライバシーのコストという考えを示しました。村にいた若者が都会に出ていくと、自由は得られるが信用はない。そこで若者は運転免許を取る。住所氏名など個人情報を登録した免許を提示すれば何らかの信用は得られる。どこでも持ち歩ける免許とは、ポータブル評判なのだといいました。クレジットカードも同じで、個人情報の登録はうるさい村や親の監視を離れてプライバシーを得るための代償なのですね」

 --前近代から近代、ポスト近代へと自己を証明する手段がかわってきた

 「生まれで自己が確定している前近代と違い、流動化した近代社会で暮らすためにプライバシーが必要とされた。20世紀のプライバシーは個人の内面にあったが、21世紀に入るころから個人情報へと比重が移ってきた。社会のなかで自分を維持する機能としては同じですが、その所在が変わってきているのです。プライバシーのアウトソーシングともいえるでしょうか」

 変革の芽、摘まれる恐れ

 --個人情報の管理は小説「1984」でビッグブラザーに監視される未来社会を想像してしまいます

 「民主国家の未来は『1984』や、パノプティコン(中央監視塔から全独房を見渡せる刑務所モデル)のようにはならないでしょう。むしろ多様な企業や機関が個別に情報を持ち、いたるところにある監視カメラが個人情報を別々に蓄積している。全体を統括するものはない分散的な監視というべきでしょうか」

 「ただ監視カメラについていえば、気持ち悪いと思っていたことも忘れて急速に慣れてきている。監視カメラではなく防犯カメラ、見張りではなく見守りというふうに、意識の持ち方が変わってきていると思いませんか。見られない自由より見られている安心感が強くなり、映像が適切に管理されていればいいと感じるようになっている」

 --誰もが日常をカメラに撮られ当たり前に受け入れているなかで、リアリティー番組があるのですね。肯定否定、ポスト近代のプライバシーをどうみますか

 「近代社会で必須だった直接的なパフォーマンスの比重が軽くなれば、体裁を気にすることなくふるまったり、人との関係も自由になったりするなどいい面はあるでしょう。規格を外すと変にみられるという意識が減り服装や髪形など、最近は結構自由になっているのもその表れだと思っています」

 「ただ自己を規定する情報が登録された社会は、かなり悲観的な側面も持ち合わせています。近代とはプライバシー、つまり管理されない部分で創造やイノベーションのエネルギーを蓄え発展してきた部分があるのですが、それが消えてしまいかねないのです」

 --どういうことですか

 「具体例で言いましょう。同性愛の問題です。アメリカの一部の州では同性愛が法律で禁じられ、同性愛行為で逮捕される時代があった。ところが同性愛を禁じる法こそ憲法違反だとされ法律が変えられた。これが可能だったのはプライバシーとして外部が立ち入れない部分を持つ、近代社会だったからなのです」

 「ところがデータベースにプライバシーが移ったポスト近代社会では、あらゆる志向が情報で管理され、既成の法や規範に反する運動を起こす前に変革の芽が摘まれてしまう恐れがある。いまの価値観が絶対的なものとなり、社会を変えたり、新しいものをつくったりしていくエネルギーが失われかねない。そういう社会で果たして個人の尊厳が保てるのか。その部分で非常に危惧しています」

 【プロフィル】さかもと・としお 昭和33年9月、大阪府生まれ。大阪大人間科学部卒、同大学院人間科学研究科単位取得退学。博士。専攻は理論社会学。情報化の進展により変容する社会や個人をテーマに研究している。著書に「ポスト・プライバシー」「新自殺論」など。

 【ニュースを疑え】「教科書を信じない」「自分の頭で考える」。ノーベル賞受賞者はそう語ります。ではニュースから真実を見極めるにはどうすればいいか。「疑い」をキーワードに各界の論客に時事問題を独自の視点で斬ってもらい、考えるヒントを探る企画です。