ミラノの北に位置するコモ県にはアルプスの山々を背景に美しい湖があり、その周辺は絹の産地として知られ、今もテキスタイルは地場産業である。今月の主人公、ジュリア・ラッケンバックは、ここで生まれ育った。
小さな頃から、休みになると家族で山に遊びにいった。毎夏冬は、いつもフランスとスイスと国境を接するアオスタ渓谷に滞在した。子ども時代の思い出のほぼすべてが、あそこにあると言ってもいい。
トレッキングで自然のなかに囲まれていることを愛し、冬はスキーに励むのは今も変わらない。彼女にとって何が大事なのだろう。
「私の目標はいつも自分自身に満足することなの。仕事、今通っている大学院、どれも大事だけど、家族や人との関係に人生のなかで一番価値をおいているわ」とジュリアは答える。
彼女はミラノにある名門のボッコーニ大学で国際経営学を学び、高級ファッションメーカーと大手戦略コンサルタント会社に数年間勤め、昨年、家業の会社が2007年につくったテキスタイル会社に入った。スイスに販売拠点としての本社があり、インドのバンガロールに70名ほどの従業員を抱える刺繍の工房をもつ。客先はフランスやイタリアの高級ファッションブランドだ。たまにアーティストの作品づくりも関与する。
この会社名にはJLが冒頭につく。ジュリアのイニシャルを冠している。ジュリアはイタリア語ではGからはじまる。どうしてJなのだろう。
「家系がドイツ系なので、両親は私が生まれたとき、Jでジュリアと呼ぼうと思ったらしいの。でも気が変わってイタリア風にGではじめることにした。だから正式にはGなんだけど、私としてはJが好きで、その方が英語と同じで発音されやすいでしょう。だからJにしたの」
というわけで娘が活躍する舞台が整った。
実は、ジュリアはこの会社に入ると同時に、ボッコーニ大学の修士課程に入り直した。専攻はラグジュアリーマネジメントコースだ。
聞き慣れないコース名だと思われる読者に説明すると、欧州各国にはラグジュアリー領域のビジネスを教える大学が少なくない。この二十数年の間に各地にできたコースでファッション、インテリア、ワイン、クルマ、グルメ、アート、ホテル、ジェット、クルーズなど、それぞれの分野のトップエンドのビジネスに携わる人材を育成する総合的な内容を多角的に教える。
ジュリアはここで学びながら、世界各国からきた人たちとネットワークも作ってきた。そして、これを彼女の本業にも活用しようとしている。
彼女が狙っているのはB to Bだけではない。この会社として初めてのB to Cのビジネスを準備中なのである。バッグを自社開発し、それを直接販売するプロジェクトを推し進めている。
テキスタイルや刺繍の素材を選び抜き、お客さんの好みにフィットした組み合わせで提供するニッチ志向のバッグである。そうしたアートとアルティザンの要素が強い商品が求められていると、小さい頃からおしゃれには関心が高かったジュリアは実感している。
これを成功させるためにも、ジュリアは走りきらないといけないのだ。
インドの人たちと仕事していて苦労はあるのだろうか。
「言うまでもなく文化ギャップはあるけど、違う考え方に出逢うのって面白いじゃない。だってそれで私も学べるのよ。しかも、相手はアーティストやアルティザンなのだから、私が夢中にならない方がおかしいくらい」と笑う。
モノが良いかどうかの判断は文化圏によって異なる。ラグジュアリーであるかどうかの認知は特にそうだ。よってジュリアはそうした違いを大学でも徹底して学んでいるが、この異文化理解の仕方を自らが講師になってインドの従業員に教えていこうと考えている。
それでは最後の質問だ。今、進めているバッグのプロジェクトの準備をしながら、何を感じ、考えているのだろうか。
「とっても興味深い質問だわ。ちょっと感情が入り混じっていると言えばいいかしら。たいていの時は、市場に早く出したくてうずうずしているの。お客さんからの反応を受け取り、自らのクリエイティビティをフル稼働させたいって。でも、とっても不安になり、これから何が起こるだろうって心配にも時になるの、特に今のようにパンデミックで全てがどうなるか見えないとね。とっても大事なのよ、このプロジェクトは。だって子どもの時から思い描いていたラインなのよ。だからこれがどうなろうと、私は決して諦めないつもり!」
この困難な時期だからこそ、小さな時からの夢を叶えられる幸運を手に入れることを祈るばかりだ。
【ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。