「最善か無か」
このメルセデス・ベンツのあまりにも有名なキャッチフレーズを最もよく体現する車種があるとすればSクラスをおいて他にありません。世界最古の自動車会社の1つを源流にもつ自動車ブランドが営々と築き上げてきたブランド価値は、世界のどこであっても、控えめに言って極めて高く、中でもフラッグシップサルーンたるSクラスはビル・ゲイツから金正恩までありとあらゆる世界の権力者、成功者に愛用されてきました。
7年ぶり7代目フルモデルチェンジともなれば、業界関係者ならずとも注目せずにはおれませんが、9月初旬にワールドプレミアされたその中身は、意表を突かれるほど大胆な変貌を遂げ業界関係者を騒然とさせています。
一昔前であれば、最高級のサルーンともなれば、保守的な顧客を驚かせない範囲でアップデートするさじ加減が不文律でしたが、今回のモデルチェンジ、大横綱にしての攻め加減を見ればいかに自動車産業が変化の渦中にあるか実感させられます。
世代を飛び越えたかのような斬新な変化
何と言っても、コンソールから立ち上がる巨大と言って良いディスプレイ。タブレット端末2枚分はあろうかという12.8インチ(標準は11.9インチ)のサイズ感で、現行Sクラスではメーターナセルに横長に配置されていたことを考えれば見慣れないこともあり、インパクトがあります。新世代のMBUX(メルセデスベンツユーザーエクスペリエンス)のインターフェースとして使われるとのことです。
率直な私の第一印象はテスラです。あの自動車産業に殴り込みをかける新参者にてイノベーターと見なされているテスラ。確かにテスラ各車種のセンターコンソールにはタブレット端末のような大型タッチディスプレイが設置され、あくまで従来の“自動車”と一線を画すことをアピールしてきました。それにしてもチャレンジャーと対局の立場にいるメルセデス・ベンツ、しかもSクラスがこれほどまでに大胆に自らの文法を変えてくるとは。物理スイッチのひとつひとつまで、理詰めに突き詰められた形状、その動作ロジックの完全無欠を標榜してきただけに、永久にそのメルセデス流を貫くかとさえ思っていました。
メルセデス・ベンツ自身がCASEという自動車の未来ビジョンを表明したのが、2016年。いよいよ新型車にその未来像が反映されてきたということかと思います。
もちろんディスプレイ以外の装備も、レベル3の自動運転、後席エアバッグ、従来モデルでも注目された専用フレグランスにイオナイザーのAIR-BALANCEパッケージ、などかなり先進的な内容になっています。
外観デザインはメルセデス共通のアイデンティティを徹底
そんな室内空間、装備類の一世代以上飛び越えたかのような変化に比べると外観はむしろキープコンセプトで大人しく感じます。でも良く見るとAクラスからEクラスまで共通のデザイン文法が随所に反映され刷新されています。実はメルセデス各車種を通しての外観アイデンティティの統一化はここ10年ほどで着々と進められてきました。すでに現行Sクラスでさえ正直ぱっと見の印象だけでは、かなり自動車に詳しい人でさえなかなかCクラスやEクラスと見分けがつけられないのが実態です。ちなみに現行Sクラスはリアテールレンズの照明が3本線で、他クラスの2本線とわずかに区別されていましたが、今回の新型ではその区別もなくなったようです。
そうまさにブランディング的には、このメルセデス・ベンツが推進する統一アイデンティ戦略が、新型Sクラス登場でどういう領域まで到達するのだろうか、できるのだろうかという点が注目点なのです。
メルセデス・ベンツは今や年間250万台以上を製造販売する巨大ブランドであって、少数の高級車を限られた顧客にだけ売るかつてのアッパーセグメント専用ブランドではありません。1982年にメルセデス初めてのDセグメントとして190シリーズ(W201)が発売されたときはセンセーションを巻き起こしましたが、今やCセグメントのAクラスからラインナップするフルラインナップです。その今やまったく少ないとは言えない販売量を、歴史的な最高級車で培ってきた高いブランド力のパワーで牽引する、典型的なフラッグシップ戦略で推し進めてきたわけですが、素朴な疑問として「ブランドが陳腐化しないのか」とか、「最高を求めるトップセグメントのユーザーが満足するのか」という疑問が沸き上がります。
メルセデス・ベンツならではのフラッグシップ戦略
ちなみに、ライバルを見れば、BMW、アウディは主力の中小型車から徐々にセグメントを拡大し最上級セダンも手掛けるようになったメーカーです。一方でトヨタは上級ブランドとしてレクサスを別建てし、フォルクスワーゲングループはアウディ以外にも、ベントレー、ブガッティなど複数の最高級専用ブランドを買い取り使い分けこの市場を攻略しています。そういう意味では上位セグメントからボリュームゾーンに量的拡大を図るメーカーは多くないのです。
一時期500万台クラブという考え方が自動車業界では盛んに言われました。要は自グループで500万台以上製造販売するスケールがなければ、新時代の研究開発や部品調達に競争力を持ちえないという考え方でした。その後数々の模索がありましたが、日産・ルノー・三菱自動車グループのスケールメリットを目指した統合計画がとん挫し、メルセデス・ベンツを擁する独ダイムラー自体も米クライスラーとの経営統合に失敗するなど必ずしも成功事例ばかりではありません。一方で、独自路線を行く各社も生き残りに戦々恐々としている状況です。
実はブランド戦略の面でも、自動車ほどの巨大なマーケティング予算をもってしても自社が持つ様々な車種ブランド全部をピカピカの状態で維持することは容易ではありません。例えば清涼飲料であれば、生活者の購買意向が絶対的に1位でなくても、試し飲みしてみようかとか、たまには気分を変えようと多くのブランドが存在できる余地があります。でも自動車は多くの人にとって気軽に何台も何台も買い替えるものではなく、購買対象の席は限られ、圧倒的な1位、せめて表彰台の位置にいなければノーチャンスです。
要は、メルセデス・ベンツほどの大ブランドにしても、個別の車種ブランドをそれぞれ独自に訴求するよりも、すべてのブランド価値を「メルセデス・ベンツ」という1点に集中し磨き上げる他ないという厳しい判断をしているということだと思います。
圧倒的装備で最上級顧客をも納得させる迫力
この戦略、フラッグシップへの評価が揺るがない限り、その強力なイメージの傘の下でよりリーズナブルにそのブランド価値を享受できるボリュームゾーンの顧客に文句があろうはずもありません。一方で、フラッグシップ車種のユーザーは、数分の一の予算で同じブランドの車種に乗る庶民の存在に耐えられるのでしょうか。実はこの点、さすがのメルセデス・ベンツもわずかな逡巡が見てとれます。2002年以来マイバッハというメルセデス・ベンツの上に位置するブランドを設定しているのです。ただし、ラインナップ面でも訴求面でも前面に押し出すのをためらっているようにも見受けられます。メルセデス・ベンツブランドが”最善か無か”を標榜する限り、屋上屋の存在は自己矛盾的であることは否めません。
そんな葛藤を内包しながらも、有無を言わさない説得力と迫力でメルセデス・ベンツブランドを牽引する役割のSクラス。ショーオフつまり見せびらかしを好まない、あるいはそのためのスーパーカーを別に所有するユーザー層の意識やスタイルの変化もあるでしょう。外観のアンダーステートメント(主張の控え目さ)からは想像もつかない、圧倒的な先進性、高品質と機能の充実。いつもSクラスの室内に入ればドアを閉めた瞬間からまるで深海に潜ったような静謐につつまれますが、さらにボディの静粛性に磨きがかかっているとのこと。きっと新型Sクラスも、そもそものトップセグメントのユーザーを納得させながら250万台をさらに拡大させるという離れ業をやってのけることと思います。
今や世界の自動車業界関係者全員が世代をワープしたかのようなトップランナーの跳躍に震撼としているはずです。
自動車立国、歴史的に多くの車種ブランドを抱える日本の自動車メーカーも、し烈なグローバル競争を勝ち抜くためのブランドポートフォリオ再検証が必要ではないかと考えます。
【ブランドウォッチング】は秋月涼佑さんが話題の商品の市場背景や開発意図について専門家の視点で解説する連載コラムです。更新は原則隔週火曜日。アーカイブはこちら