ミラノの創作系男子たち

「合理」と「合理ではないもの」の間で ジュリアのアートに見えるもの~女子編

安西洋之

 「作業中に音楽を聴きますか?聴くとしたらどんなもの?」

 これをクリエイターへの質問の定番としてきた。今回のジュリア・ブリンデッリは「分野を問わず、アカデミックなカンフェランスをYouTubeで聴いていることが多いわ」と答える。「気が散らない?」と重ねて尋ねると、「単純作業だから」とのコメントが返ってきた。

 ジュリアはアート作品を制作するに頭を使わない。ひたすら手を動かしていく。そして完成した作品を目の前にして、自らの作品のコンセプトを構築していくのだ。これは意外な展開であった。

 というのも、彼女はフランスの作家の文章の文字を切り抜いて「解放させる」。

 あるいは地図に穴をあけ、その切り口に刺繍を施す。

 ジュリアは見るからに知的雰囲気溢れる作品を作る。頭脳先行型にも見えてしまう。だが手を動かしている間、作品のことを考えないのである。

 職人的に手を動かし、作業が終わるとキュレーターか批評家のように自分の作品のコンセプト作りに励む。彼女は「フロイドの夢の分析みたい」と表現する。夢を見る人間と夢を分析する人間という2人に分かれているという意味だ。

 彼女はアーティストとしてのトレーニングを受けてきたわけではない。ローマの大学で勉強したのは文学や美学である。

 「ローマで生活していた少女時代から頻繁にフィレンツェ郊外にある祖父母の家に滞在し、祖母が作業する刺繍に親しんでいたのが素養の礎になっているかも」と思い返す。

 建築家の父親のもとで育ったジュリアは高校を卒業した時点でパリに1年間滞在し、フランス語を勉強しながらこれから何を学んでいくかを探った。そこで日々心躍るパリ生活のなかで見つけたのが、近現代文学の面白さだった。そうしてローマの大学に進学した。

 フランスの作家であるマルセル・プルーストの作品を美学的観点から考察した内容を卒論に記した。卒業後、ローマの新聞社が発行するオンラインマガジンへの執筆に関わる。ちょうどインターネットの普及がはじまった1990年代後半のことだ。

 マガジンのテーマは食。そこは食品のオンライン販売をしていた。彼女の担当は食に触れた文学作品について記事を書くことだ。例えば、世界の文学作品が「朝食」や「誕生日の夕食」をどう表現しているかをコラムに仕立てる。なぜ人々の生活で朝食は比較的均一で昼食や夕食になるに従い多様化していくのか、という問いかけをする。

 ちょうど1989年からスタートしたスローフード運動が広がりをもちはじめた頃で、食とライフスタイルが注目され始めていた。彼女は仕事に夢中になった。

 3年ほど仕事をしているなかで、現在は大学の教員を務める将来の夫に出逢い、ミラノに引っ越す。そして娘と息子を産み育児に専念することになった。2人とも手が離れたところでジュリアは文章を書くのではなく、今度は前述したようなアート作品にとりかかったのだった。正確にいえば妊娠中から試作はしていたが、本格的にスタートしたのは育児に手がかからなくなって以降だ。

 生地に穴をあけたりする作業はその発端だ。だが、なぜ布をカットするのか?

 「プルーストの研究をしているとき、人は内にある表現したいことをすべて表現できるのではなく、いわば闇の一部を切り開くようにしか言葉を発していないと思ったの。だから、いつもそこにはギャップが存在するのね」

 

 ただ、ジュリアはそれを悲観的に捉えているのでない。ギャップの向こう側に広がる空間に魅力を感じているのだろう。

 裂けた部分をつなぎ直すために糸で縫い合わせるのではなく、その避けた部分を祝福するために刺繍を施す作品を作り出したのは、極めて必然的なステップだったのだ。しかしながら冒頭で書いたように、ジュリアは頭で考えてそうし始めたのではなく、自らの内にあるミステリアスな要素に引っ張られるように表現に変化が生じた。

 「言うまでもないけど、こうしたプロセスはアートだけよ。日常生活を送るときは違うわ」と笑いながら話す。家事はロジカルだ。毎日、6-7時間は作業にあて、家族と共に過ごす時も大切にする。

 昔はスポーツにまったく見向きもしなかったジュリアは、今は自転車に乗るのが好きだ。夫と一緒に100キロくらいは走り込む。朝は6-7キロのジョギングをする(ただし、8時に起きる彼女はよくイメージされる早朝ジョギングではない)。

 最後に今は高校生になった子どもたちへの教育について聞いた。

 「他人を尊重し攻撃的にならないことを第一に教えてきたわ。それから学びの大切さね。それによって状況がよく掴め、思慮に富んだ判断ができる。言ってみれば豊かな自分になれる、と」

 ジュリアの話を聞いていてぼくが思い描いたイメージがある。ヨットが風上に向かってタッキングしながら進む風景だ。ヨットは風のあたるセールの向きを適時変えながらジグザグに進む。ジュリアは「合理」と「合理ではないもの」という2面に交互に風にあてるように舵を切る。その絶妙な機転に人生の喜びを彼女は感じている。そうぼくの目には映った。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。