ミラノの創作系男子たち

「勉強は嫌いだけど、学ぶのは好き」 全体像を追求するサーラのルーツ~女子編

安西洋之

 サーラ・ベルナートは16歳、つまり高校生でファッションモデルとしてランウェイにデビューした。ブダペストの高校に在学中は、休みの間にパリやミラノに滞在して仕事をしていたが、高校卒業後にはパリを拠点にして活動を本格化させた。

 ハイファッションや雑誌『ヴォーグ』『バザー』などのモデルとして働きたいと思ったのは、世界中を旅したいと思ったのだ。共産主義時代のハンガリーの首都・ブダペストに生まれたサーラは、物心がついた頃には冷戦が終結していた。

 両親は欧州の近隣の国々にクルマで連れていってくれた。特にイタリアにはよく足を運んだ。ただ、海岸を愛する舞台女優の母親と美術の鑑賞を好む劇作家の父親との好みはあわず、たまに滞在中の行動を決めるに手間取ることはあったが…。 

 だが、サーラはもっともっと広い世界をまわり住みたかったのだ。そして、およそ10年間、各地を飛び回った彼女はパリの大学で心理学を勉強するようになる。

 最終的にはベルリンのフンボルト大学の社会学の博士号まで取得した彼女は「高校の勉強は大嫌いだった」と語る。そして「勉強は嫌いだけど、学ぶのは好きなの。どういう理解の仕方がいいのかは、得意不得意があると思うけど、私は何かの範囲を定められて、『ここを勉強しなさい』と言われるのは苦手。だけど、自分の関心のあるテーマを探索していくとなると夢中になるわ」と説得性のある説明をしてくれる。

 昨年、ファッションフォワードというサステナブルファッションを多角的に捉えるシンクタンクをハンガリー系米国人の女性と共に起業した。今、スピーカー、ファシリテーター、コンサルタントとして八面六臂の活躍だ。

 ファッションに関連する環境問題、人権、脱植民地主義といったそれぞれのテーマを議論する場はあるが、これらをトータルに議論する場がないと気がついたのだ。「ファッション・ディスコースのプラットフォームを作ろう!」と立ち上げた。

 全体像へのアプローチに拘る、いやそれでないとちっとも気分が盛り上がらないサーラらしい決断だ。

 こうした全体像への執拗な追求は、祖父の影響もあるかもしれないと彼女は思う。第二次世界大戦中、アウシュヴィッツに収容されたが生還。1950年代以降、科学や人文系のアカデミックな出版物のディレクターとして活躍した。戦時中、ユダヤ人として大学教育を受けられなかった祖父は、アクセスしがたい知に多くの人がアクセスできるようなシステムを創ることに生きたのである。

 次の世代である父親も作家としてさまざまに意見を表現する立場にあった。だが、祖父ほどには共産主義社会を理想モデルとは思えなかった。しかし、スマートにポジションをとっていた。

 「いくつかの解釈を含んだ物言いをできる人なの」(サーラ)

 このような知的洗練さを重んじる本に囲まれた家庭環境で育ったサーラは、ファッションモデルを経て、その経験をもとに大学で学びたいと考えるようになった。心理学、マーケティング、デザインなどを修士までに学び、ラグジュアリーをテーマとした博士論文を書いた。

 ところで、サーラが初めて雑誌の表紙を飾ったのはまだ3歳の時だ。1989年のハンガリーにファッション雑誌がなかったが、自ら裁縫をする女性向けの雑誌はあった。それに母親と載ったのである。

 「それから10数年後に私はモデルとして働きはじめたのだけど、両親はファッション雑誌やモデルがどういうものなのか、よく知らなかったの」

 父親は思索を好む人だが娘にはスポーツを強く勧め、一方、母親はとても活発な行動派だが、女性はスポーツのような余計なことをしなくて良いと言うタイプだった。

 「『女性はケーキを前にテラスに座っていればいいの』とプリマ・ドンナのようなことをママはいうわけよ」と笑うサーラは、結局、子どものときにスポーツに励むことはなかった。

 三人姉妹の真ん中に育った彼女は愛情に包まれた家族に囲まれて育ったので、18歳、パリでまったくの1人でモデルの生活をはじめたときは孤独が辛かったようだ(因みにサーラの妹もモデルをやり、姉はクラシック音楽の道に進み、現在、デンマークのオーケストラで演奏している)。 

 しかし、仕事を積み重ねるうちに「ニューヨークで会ったわよね」というような関係が世界各地につくられ、10数年経った今も親しい友人とのつきあいは続いている。

 しかも、パリの大学では後に夫となる男性とも知り合った。彼とのつきあいは、大学の図書館で出逢うというどこかの映画にあるようなスタートだった。現在、彼は再生エネルギー分野のコンサルタントである。一緒に米国フィラデルフィアに住む。

 パンデミックになり自宅で仕事をすることが多くなり、週に3回はプールで泳ぎ、ジョギングもするしマラソンも走る。「子どもの頃、父親にスポーツをやれと言われた以上に身体を動かしているわ。頭をリセットするにちょうどいい」と話す。

 夫婦ともども、本を読むのが好きだ。「我々は椅子を書籍に替えた方が良いのでは?」と図書館で知り合った2人は冗談をとばす。

 サーラの話を聞いているうちにブダペストに行きたくなった。ぼくが知っているのは1990年のブダペストだ。およそ30年で多くのことが変わったはずだ。サーラに「会うべき人」のリストを作ってもらおう。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンジェリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。