要するに、世界に共通するとても大きなテーマに、どれだけそのスケールにふさわしい広さと深さをもって語れるか。そして自ずと他国の人々から敬意と感謝の意をもってフィードバックを受けられるか。こういうレベルの自信の有無を問うことが、自己評価の根底にある。
例えば、誰もがよく指摘するイタリアの強さに、人文学の伝統がある。だが、少しカビが生えた気がしないか? いや、テクノロジーやAIが大きく論議されるからこそ、人間の変わらない姿への視点が貴重なのだ。
これが「また、そっちの話なの?」という気力のない表情とセリフを誘導しない力とは何なのか?
こういうことだと思う。「なんで、イタリア人のぼくの一言がパンチに欠けるわけ? シリコンバレーの輩の言葉と比べてそん色ないでしょう?」と内心抱いている不満が過小評価、ややもすれば、不当評価とさえ言いかねない事情に繋がっている。
まあ、ぼく自身の空想も半ば含んでいるので、すべてを本気でとらぬように(笑)。
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【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちらから。
安西さんがSankeiBizで連載している別のコラム【ミラノの創作系男子たち】はこちらから。