新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車だけは直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の「トヨタの危機管理」。今回は「危機管理人はどう生まれるか」――。
※本稿は、野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
トヨタの危機管理は人材教育にもなる
危機管理にかかわったトヨタの人に話を聞くと、口をそろえて「危機管理に参加したり、支援に行くと、自分自身が成長する」と答える。
人に教えるには自分が勉強しなければならない。支援に行くと、現場でさまざまなくふうを考えなければならない。それは講義を聞いて知識を得るよりも、はるかに役に立つ。知識は本から学べるけれど、スキルは体に記憶させるしかない。
思えばトヨタの危機管理は人材教育にもなっている。
この点について、危機管理人の朝倉正司もうなずく。
「僕は、性善説になるかもしれないけれど、人はみんな人を助けるのが好きなんだと思う。災害や感染症の蔓延で出社できなくなる。仕事ができなくなって、ぼんやりしているスタッフに『さあ、現場に行って直してこようぜ』と言ったら、みんな目が輝くんですよ。自分の気持ちにもいいし、世の中のためになったと感じるんでしょうね。帰ってきてから、バリバリ仕事をするようになる。金がかかる人材教育のセミナーなんかに行くよりも、災害の支援で汗を流して働いた方がよっぽどいいんだ」
災害や理不尽をどう魅力的なことに変えるか
トヨタは黙々と支援をしている。支援に人を出している。一方通行にも見える。だが、人を助けることは自分にも跳ね返ってくる。情けは人の為ならず、である。
英語のことわざに「人生が酸っぱいレモンを与えるのならば、レモネードを作れ」というものがある。
酸っぱいレモンにかじりついて、酸っぱさを嘆いていても始まらない。それよりも酸っぱいレモンにほんの少しの砂糖を加えれば子どもたちが喜ぶレモネードに変えることができる。
危機管理、支援とは酸っぱいレモンにほんの少しの砂糖をまぶすような行為だ。災難や理不尽なことには創造的なくふうで対処して、魅力的なことに変える。そう信じることから始める。
「1000種以上のねじから1本を探し出せ」
朝倉、尾上恭吾が好例だが、トヨタの危機管理人は生産調査部で協力工場の指導をし、かつ、災害支援で現地へ行ったことがある人間が中心だ。加えて、調達の人間と保全マンたちだろう。
つまり、生産調査部の人間は日常的に危機管理の仕事をしているから危機管理チームの柱になる。では、彼らは配属されてから、どういった教育を受けてきたのか。
腰に縄を巻かれる寸前までいった友山がよい例だけれど、生産調査部員はこれまでスパルタ式実践教育を受けてきた。
たとえば、協力工場へ行き、ラインの前に立つ。上司が床に白墨で円を描く。
「ラインのどこに滞留があるのか。では、どう直せばいいのか。それがわかるまで、ここに立ってろ。トイレだけは行ってもいい」
そうして、1時間ほど経ったら、様子を見に来る。
「これこれこうです」と部下は答える。
「違う」
それだけ言って立ち去る。
結局、一日中、立たされたなんてことはかつては日常茶飯事だった。
あるいは新人に1本のねじを示す。
「工場のなかでこれと同じものを見つけてこい」
なんだ、簡単じゃないかと思ったとたん、上司は罵声を浴びせる。
「おまえ、絶対に人に聞くな。もし、聞いたら、ぶっとばす」
自動車工場にあるねじの種類は1000種類ではすまない。新人は何日もかけて工場中を歩いて、作業者が使っているねじを見つめ、自分が大事に持っているねじと同じものかどうかを調べる。
ふたつともにいったい、何の意味があるんだろうと思われる教育だ。