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日本の「東大王」型エリートはなぜ海外で通用しないのか? その理由とは (3/4ページ)

 ■「アメリカ独立」や「フランス革命」の年号は知らない

 実際、イギリスのエリートは日本人に比べると知識量が格段に少ない。彼らと話していると、日本人なら「世界の常識だ」と考えているようなことを知らないことがままある。

 例えば歴史。アメリカ独立の年もフランス革命の年も知らない人が多い。相手は「なぜあなたは知っているの?」と驚く。世界地理でも大都市は別として地名も場所も詳しくない(その代わり、現今の世界情勢に多大な影響をもたらした第1次・第2次世界大戦に関する知識には目をみはる)。

 知識は話題を豊富にするには便利だが、思考力を阻害する危険があることを筆者は身をもって知った。例えば授業中に日本事情を紹介していると生徒から頻繁に「それについて先生はどう考えますか」と聞かれる。「これこれだと考えます」と答えると「どうしてそう考えるのですか」と畳みかけられる。

 生徒たちは教師に挑んでいるのではなく、教師がどう考えるかに興味を持っているのだ。「日本はどうして移民を受け入れないのですか」「未成年の売春が放置されていると聞きますが」。その場で考えが及ばない時は「その問題は先生の宿題にさせてください」。宿題に追われた筆者は考える癖の欠如を痛感した。

 ■「詰め込み型」の日本式教育は、教員の負担が少なくて済む

 どの分野でも一流になった人は自らの足跡を振り返る時、何かを成し遂げるために「考えた」と言う。思考力の育成はわが国の文部科学省も近年重視している。しかし果たして思考力を育てる授業が今の日本でできるのか。

 教員として思うのは、知識を教えるのは簡単でテストの採点も楽だということだ。何しろ正解がはっきり決まっているのだから。逆に、生徒に考えさせるような授業は、教員の予習も大変だし、論文を添削するのも時間がかかる。

 イギリスのトップ校ではクラスが少人数制の習熟度別編成なので、教員はクラスの能力に合わせた知的好奇心を刺激する授業ができる。

 また、教員は生徒一人ひとりに時間を割くことができる。例えばミロ君が披露した論理的な自己推薦書は一朝一夕に書けるものではない。当然、ミロ君は普段から書く訓練をしており、それを教員が添削している。

 加えて、私学の場合はイギリス教育省の規制をあまり受けないので、各学校の理想とする教育を伸び伸びと行うことができる。

 一方、日本の教師は担当する生徒数が多い上に授業以外の雑務も多いため、授業中に生徒を考えさせる余裕も、丁寧に論文を添削する時間もないだろう。また、暗記型教育で育ってきた教師が、「考える」ことを教える授業に転換するのも難しい。結果的に公立・私立を問わず文科省の指導要領に準拠した知識詰め込み型の教育が繰り返され、その頂点として「東大王」が君臨し、エリートと見なされる構図ができあがってしまっている。

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